ミラクル・タブレット4

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「気に入るかどうかわからないけれど・・・」

部屋に入るなり、大石は書店の袋に入った大きめの包みを英二に手渡した。
受け取ると、ずしりと重い。
プレゼントとしては確かに持ち重りがするものだった。

「本?」
「うん・・・。ていうか、画集・・・」
「がしゅうって?」
「ほら、あの、絵の・・・」
「ああ・・・」

長姉の部屋の本棚に並んでいたのを思い出す。

「気に入らないかも」

大石が苦笑しながら続ける。

「そんなことない。こういう大人っぽいプレゼント初めてだから、うれしいよ」

思いがけないプレゼントに、英二は頬を紅潮させた。
英二にとって画集とは、大人の香りするものだった。
桃色に染まった頬を見て、大石は照れくさそうに頭を掻いた。

とたんに、英二の中に、申し訳ないという気分が沸き上がった。
大石に薬を飲ませようとしていたことを謝りたくなった。

「大石、ごめん。俺、謝らなきゃ」
「な、なんだ?突然・・・」
「突然じゃないんだ、ずっと謝らなきゃって思ってたんだ・・あの薬、もう一錠あるんだ」
「あの薬って、例の、若返りの?」

「若返り」という表現を大石の口から聞くと妙に年寄り臭く、英二は内心噴き出しそうになったが、神妙な表情は崩さない。

「・・・ほんとは、俺、大石に薬を飲まそうとしてたんだ」
「あの薬を?俺に?」
「うん。だから、ごめんね・・・」
「なんだ。そんなこと」

大石は、ふっと微笑った。

「どうして俺に飲ませようとしてたの?」
「それは・・・」

英二はまばたきをぱちぱちと二つして、瞳をくるりと宙に向けた。
大石からそういう質問が返ってくるとは予想していなかったのだ。
本当のことを言えば、大石とのダブルスに未練があると思われる。
未練が全くないわけではないが、未練たらたらとは思われたくない。

「・・・薬、持ってるのか?」
「う、うん」
「見せて」

英二はカバンを引き寄せ、中を探った。
透明のプラスチックケースを手に取り、大石に向けて振って見せた。
カラカランと、乾いた音がする。

大石が右手を伸ばして手のひらを上に向ける。
英二はその上にプラスチックケースを静かに置いた。
ケースの中に薄桃色の錠剤が一つ。
MTと表面に刻まれているのが光の加減ではっきりと読める。

「M、T・・・?」

大石は、左手の指でケースをつまみ上げ、目の高さまで上げて中をしげしげと眺めた。

「どういう意味?」
「さあ・・・。不二は、Mはミラクルだって・・・。Tはアトベケイゴの・・・あれ?」
「アトベケイゴなら、AかKだろう?・・・これ、跡部にもらったのか?」
「うん・・・」

「なんの企みか悪ふざけかしらないけど・・・」

大石は面白くないといった表情になった。
英二は、怒られる、と思って身構えた。

すうと息を吸って、大石は覚悟を決めたように口を開いた。

「・・・英二が飲めって言うなら、俺は飲むよ」

「・・・はは、何言ってんの?」

意表を突いた反応に、英二は拍子抜けした。

「・・・俺は真剣だよ」
「言わないよ!そんなこと」
「でも、飲ませようと思ってたって、言ったろう?」
「あのときはそうだったけど・・・」

まずい、と英二は思った。
大石は、時に意固地になる質だった。

大石はケースの蓋を外し、錠剤を取り出した。
ケースを机の上に置き、右手の指で錠剤をつまみ上げる。
そして、先ほど台所でコップに注いで来たジュースへと、左手を伸ばした。

「だめ!」

英二は青くなって大石に掴みかかった。
大石の右手首を掴むと、錠剤は手の中を跳び出して、部屋の隅に転がった。

「飲んじゃダメだってば・・・危ないし、それに、それに・・・」

それに、俺が好きなのは、今の大石なんだから。

喉まで出かかって、英二は息を止めた。
これは、軽々しく言ってはいけない言葉だ。
英二は、言葉と一緒につばをごくりと飲み込んだ。

大石は、英二の指を剥がして、部屋の隅に転がった錠剤を拾い上げた。
指と指とが離れるのが名残惜しく感じられて、英二は大石の姿を目で追った。

大石は拾い上げた錠剤をプラスチック・ケースの中に戻して、蓋をした。

「英二が飲むなって言うなら、飲まない」

英二に向けて、ケースをカラカラと振って見せる。
そして、机の一番上の引き出しを開けて、ケースをしまった。

「俺の分なんだから、俺が持っていてもいいだろう?」

どこか開き直ったような、妙な迫力がある。

「そうだけど・・・」

有無を言わさぬ様子に気圧されて、英二はうなずくしかなかった。


「画集・・・」
「え?」
「それ、開いてみてよ」

大石の目線の先には、例の、プレゼントの画集があった。

「あ、うん・・・」

書店の袋をガサガサ言わせ、重い本を取り出す。
表紙には「シャガール画集」と、書いてあった。

「シャガールって・・・」

この名前は聞いたことがある、と英二は思った。

「うん。覚えてる?夏休みに・・・」

・・・そんなに以前のことだったろうか。
ごく最近、この画家の名前を耳にした・・・

シャガール、シャガール・・・
英二はくちびるを小さく動かして繰り返し唱えた。
不思議な温かみが胸の奥によみがえる。
違和感と懐かしさを同時に覚えた。

「・・・暑さ避けで入った美術館で」

・・・美術館?
そうだったろうか。
そこは確か天井と壁が白くて、消毒液の匂いがしなかったか。
床も白くて、スリッパの中は冷たくて・・・


英二は、書店のしおりが挟んであるページを開いた。
見たことがある絵だった。

女性が、丸いケーキにナイフを入れている。
その後ろから、鮮やかなグリーンのジャケットを羽織った男性が近寄り、キスしようとしている。
男性は、宙にぷかりと浮かんでいるように見える。
手には花束。
部屋には臙脂色の絨毯が敷かれている。

この絵をどこでみたのだろうか。
英二は記憶を探ろうと試みた。

「英二が、一番よかったって言ってたから・・・」

・・・そうだ、一番よかった絵だ。
画家の名前が思い出せなくて、じれったくて。
大石が教えてくれたのだ。
シャガールだって。
本当に夏休みだったろうか。
もっとずっと最近に、この絵を見なかったか・・・

「その絵の名前、『誕生日』っていうんだって。だから、プレゼントにちょうどいいと思って・・・」

・・・誕生日。
そうだ、誕生日の前日だ。
きっと、一晩入院したあの病院で。
その絵を見たのは夢の中だ。
目覚めて、大石のことを思って心が躍った。
スリッパの中の足は冷たくて、でも胸はほっこりと温かだった・・・

不揃いな記憶の糸と糸が縒り合わされて、一本の糸になる。
縦糸と横糸が組み合わされ、一枚の織物が描かれる。

すべて織り上げられていなくても、織物に浮かぶ絵の全貌が予想されていく。
予想と、記憶の糸の端がマッチして、糸はさらに縒り合わされ、布は織り上げられる。

英二の脳裏に、無くしていた時間がよみがえっていく。


「ふふふっ」

英二がくすぐったいように笑う。

「俺、大石のこと、『兄さん』なんて言ったの?」
「ああ・・・」

大石はとまどったように、英二の顔色を窺う。

「思い出したのか?」

英二はその問いには答えず、大石の右手を取った。
左手に大石の手を載せて、右手でその手を包む。
そして、宝物を磨く時のように、大石の手を撫でた。

「えっ・・・英二!」

英二は大石の口元に人差し指を当てた。

「・・・!」

黙り込む大石の頬に、英二がくちびるを寄せる。
英二のくちびるも熱ければ、大石の頬も上気してこれ以上ないほど熱い。

「俺にとっても、一番大切な人だよ・・・」

頬からくちびるを離すと、自然にこぼれ出た。
さっき、飲み込んだ言葉。
口に出しても構わないのだ。
小春日和のこの日の天気のように、英二の心は穏やかに安らいでいた。

「英二…」

呟いた大石の声は、甘く、瑞々しく濡れていた。
大石の汗ばんだ左手が、英二の背中に回された。



まだ続きます
あとちょっとだけおつきあい下さいね!


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