12月某日
昼休み、3年6組の教室。
窓際の一番後ろと、後ろから二番目の席。
それが英二と不二の指定席だ。
幾度席替えしても同じ結果になる。
それには、さすがに何らかの不思議な力が働いているとしか思えない。
だが、二人に、というより不二に意見する勇気有る者はこのクラスにはいない。
不二がプラスチックのケースを指でつまみ上げ、陽に透かす。
「何か、書いてある」
小さな薄桃色の錠剤がカランと乾いた音を立てて転がる。
「・・・M、T・・・?」
小春日和のぽかぽか陽気である。
英二は窓の外を眺めていた。
ぼんやりとして、心ここにあらずといった様子だ。
暦は師走に入ったが、英二の失われた記憶は戻っていなかった。
とはいえ、英二がぼんやりしているのは、記憶が戻らないためではない。
「Tは・・・。タブレット?」
不二のつぶやきに、英二は不二の方へ顔を巡らせる。
まるで不二がいたことに今気付いたかのように、まばたきをひとつした。
「Mは・・・。ミラクルかなあ?」
「・・・ミラクル?なんで・・・?」
「だって・・・フフフ」
意味ありげにほほえむと、不二はプラスチック・ケースの中をのぞき込んだ。
英二は再び窓の外を見るともなく見遣る。
誕生日の翌日から、英二はずっとこんな調子だ。
ふかふかした絨毯の上を歩いているような、そう、あの病院の個室の床の上を歩いているような、そんな気分だと英二は思う。
抱きしめられ、肩にかけられた体の重み、温み。
耳元をくすぐる吐息。
水気を含んだ甘い声。
あれから数日が経ってもまだ、その感触は生々しく思い出された。
体は微熱があるみたいに火照り、頭は霞がかかったようにぼうっとしている。
「・・・A・T、じゃないんだね」
「A、T?」
「アとべけいごだろ?」
不二は少し考え込むようにした。
「アとべ、ケいご・・・A・Kか。・・・アぶない・クすり、・・・なんてね」
そう言って、不二は英二に目を遣ったが、英二は相変わらず上の空だった。
不二は何かに気がついたようにはっとした。
表情がみるみる陰鬱に曇っていく。
英二はそれには気付かず、ふうと気だるげなため息を漏らした。
☆☆☆☆☆
英二には気にかかることがあった。
プラスチック・ケースに入った、例の薄桃色の錠剤のことだった。
残りの1錠の存在を、大石は知らない。
それを大石に飲ませようとしていたことについて、英二は気が咎めて仕方なかった。
この日は、大石の家に寄ることになっていた。
誕生日のプレゼントを用意してくれてあると言う。
誕生日の前後は、中学二年生になってみたり、車にはねられてあげくの果てに記憶を無くしてみたりと波瀾万丈だった。
おまけに、記憶の一部はいまだにどこかへ失くしたままだ。
何かおかしなことを言わなかったかと、英二は大石に尋ねた。
おかしなことをいったとすれば自分の方かもしれない、と大石は答えた。
その答えは謎かけのようで、英二にはさっぱり意味がわからなかった。
それでも、この年の誕生日は英二にとって忘れられない良き日になった。
ホールケーキが無くとも、何の不満も覚えなかった。
むしろ何物かで満たされていた。
大石の家の前まで来てみると、なぜだか足がすくむようになるのを英二は感じた。
これまで幾度も訪れている大石の家なのに、初めて訪れるような気分だった。
英二は意を決して門扉に手をかけた。
「英二」
家のドアが開き、大石が顔を出した。
「上がって行くだろ?」
大石の声は普段どおりの声だった。
あの日の、しっとりと濡れたような甘い声は、本当に彼のものだったのだろうか。
何か幻のようなものを見たり聞いたりしたのだろうか。
英二は狐につままれたような、幾分寂しい気分になった。
「う、うん・・・」
門扉を開けて、また閉める。
何でもない動作を、英二は几帳面に行った。
大石がいつもどおりであろうと、自分の方はいつもどおりにはなれなかった。
玄関先で靴を脱ぐときは、下を向いたので頭がくらくらとし、またもややたらと丁寧に靴を揃えた。
落ち着かない気分を沈めようと、必死だった。
英二がこうして緩慢と動いている間に、大石は早々に家の奥へと引き上げていた。
「ごめんなあ、学校で渡してもよかったんだけど・・・」
台所で冷蔵庫を開けながら、声を張り上げるようにして英二に向けて話しかける。
ちょっと、重いんだよな、と大石は続けた。
「だ、だいじょぶ・・・」
英二もできるだけ大きい声でと、返事した。
しかし出てきた声は、意に反して小さいものだった。
「なんだって?」
大石が玄関先へと顔を出す。
「うわあ!」
その顔が間近に迫り、英二は思わず大声をあげた。
「ごめん・・・。英二、大丈夫か?何かまだ、本調子じゃないみたいだ」
「ほっほんちょうし?だと思うけどな・・・」
「顔も赤いし、熱でもあるんじゃないか」
そう言って、大石は英二の額に手を伸ばす。
反射的に、英二は大石の手を取った。
「きょっ今日は暖かいから・・・」
「そうか?」
英二は大石の手を握ったまま下ろす。
そのまま、二人は玄関先で手をつないでつっ立っている格好になった。
「わ・・・!」
「あ、ごめん・・・」
二人とも弾かれたように互いの手を離した。
「つっ冷たいものでも・・・」
そう言いながら、大石は台所へと消えた。
耳の縁が赤く染まっていたのに、英二は気付かない。
英二は火照った頬を手のひらで覆って、まぶたを伏せた。
まつげがふるふると揺れる。
練習の時は、二人の手と手が触れることはそう珍しいことではなかった。
なのに、今になって何がどうしてこんなにも意識してしまうのだろう。
英二は混乱するばかりだった。
4-2へ続きます♪