ミラクル・タブレット2

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11月27日(土曜日)



「おい!英二!英二!しっかりしろ」
「う、ううん…」

重い瞼をやっとの思いで開けると、兄の顔があった。
顔は青ざめ、驚きと恐れの色が浮かんでいる。

「ちょっと!なんの騒ぎ…?」

母は声を荒げて階段を上って来ると、英二を見て絶句した。


跡部がくれた薬は、英二の体を変化させていた。

背は10センチほど縮み、肩幅は狭まり、一回り小さくなった印象だ。
手足は筋肉が落ちて、ひょろ長く伸びている。
顔も小さくなったのか瞳が大きく見えて、幾分少女じみた容貌だ。
確かに、英二は「一歳若返った」のだろう。
成長期の一年の違いは、ひと目でわかるほど大きいものだ。

「英二!どういうことなの?ちゃんと起きて説明なさい!」

床に転がっていた英二は、体を起こそうとひじをついた。

「かあちゃん…」
英二の口から、高い声がこぼれた。



説明しろと言われても、英二には何もわからなかった。
何しろ、英二は脳までも中学二年生になっていたのだから。

そうして、母と兄と三人で顔を突き合わせ、「MT お薬の説明」と書かれた能書きを読んだ。

「効き目が24時間で良かったけれど…」
「慰謝料請求したら?相手はド金持ちなんだからさ」
「ばかね、ああいう家にはヤリ手の弁護士がついているものよ」
「だけど、こんな訳のわからない薬送りつけてくるなんてどうかしてるぜ」

兄は、薬を指でつまむと、蛍光灯の光にかざすようにして眺めた。

英二はつられるようにして、兄を見上げた。
黄色と言ってもいいような色の髪の毛が、蛍光灯の光を浴びて透き通るように光っている。
一年の間に、兄は髪を染めるようになったということだ。
一方、兄の背や体つきに大きな変化は感じられなかった。
上背がある男らしい体つきに憧れる英二は、自分の前途に不安を感じて少々切なくなった。


「『一歳若いオレへ』、だって!」
母は、机の上に放り出してあった英二のメモ書きを手に取って、あきれたように溜息をついた。

「…『もう一つは大石用』…ですって!?英二!絶対ダメよ!大石君にこんな変な薬飲ませちゃあ」

母の剣幕に、兄は薬をプラスチックのケースの中に戻して蓋をした。

「飲ませにゃい、飲ませにゃいよ〜」
「ホント?にゃあにゃあふざけていないでちゃんと約束なさい。しないと、没収よ」
「絶対飲ませないよ!それ、跡部に返すから」

英二は高い声で母をさえぎると立ち上がり、机の上に置かれたプラスチックケースを手に取った。
ふと、写真立てに飾られた一枚の写真が目に留まった。

青学テニス部の集合写真である。
知らない帽子の子供と手塚が仏頂面で中央にいる。
手には杯と盾。
二人以外の部員たちは、もちろん英二自身もそこにいたわけだが、これ以上ない笑顔で写っている。

「20XX年8月2X日 第XX回全国中学生テニス選手権大会団体戦優勝」

「うそぉ!!!」
印刷された文字を見て、英二は思わず声を上げた。

「まじで…?」

そして、跡部からのバースディカードに目を落とした。

「昔に戻りやがれ…って。どういうことだろう…」




☆☆☆☆☆☆




暗闇の中で、緑色の光が明滅している。
英二は携帯電話を静かに開き、メールを確認する。
夜中に携帯電話を使ったら没収、というのが菊丸家の中学生ルールである。
二段ベッドの下から、兄の寝息が聞こえてくる。

「これ合成?誰にやってもらったの?乾かな?君たちもたいがい暇人だね」
不二からのメールには、そう書かれていた。

英二は、一歳若返った自分の写真を撮って、不二に送った。
今現在の自分の姿だと証明するために、兄が買って来たアイドルのカレンダーを胸に掲げた。
カレンダーは来年一月からのもので、当然ながら昨年時に発売されているはずのないものだ。

この写真は他の友人たち、後輩たちにも送りつけていた。
携帯電話の住所録には知らない名前もちらほらあって、なるほど自分は本当に一歳若返ったのだと英二は改めて思った。
英二は知っている名前だけにメールを送ったわけだが、それぞれが英二の満足する反応を見せてくれた。

「なんで不二はびっくりしにゃいのさぁ…」
つぶやくと、兄が、ううとうなった。
英二は慌てて口を塞ぎ、不二を驚かすには何とメールを打つべきかと思案する。
いくら知恵を絞ったところで、不二に英二が、それも中学二年生の英二がかなうわけがない。
しかし、自分の今の声を聴かせれば、不二だって驚いて口も利けなくなるに決まっている。
英二は不二の携帯番号を画面に表示し、発信ボタンを押した。

「もしもし、不二ぃ…?」
「…英二なの?なんだかずいぶんカワイイ声だけど…」
「にゃはは…あ!」

目の前に兄の顔があった。
梯子に足を掛け、こちらを睨みつけている。

「おい、うるせえぞ」
知る限り、究極に機嫌の悪い顔である。
眠りを妨げられたのだから、当然と言えば当然である。

「兄ちゃん…ごめん」
「没収だ。よこせ」

兄は英二の携帯電話を取り上げ、構わず電源を落とした。

「ごめんなさい…」
携帯電話を取り戻したい一心でしおらしい声を出したが、兄はすぐに寝入ってしまったようだった。
明日の朝、母に渡すつもりなのだ。


「ふー」
英二は声を出さずに、口から息だけを吐いた。
そのままくちびるをとがらせて考える。

大石にメールしようかしまいかと考えているうちに、携帯電話を取り上げられてしまった。
薬を飲ますか飲ますまいか、どちらにするのか英二は決めかねていた。
もし先にタネを明かしてしまえば、大石は慎重だから決して引っかからないだろう。

薬、飲ませちゃっていいのかなあ…
英二は心の中でつぶやいて、寝がえりを打った。

「パートナーと共に昔に戻りやがれ」と跡部が書いた一言はどういう意味だろうか。
大石に薬を飲ませればはっきりするだろうか、と英二は考えていた。




☆☆☆☆☆




目が覚めると、すでに陽は高く上っていた。
夜中に起きた一部始終は、すべて夢のように感じられた。

英二はベッドの梯子を下りて、兄の布団を剥いだ。
枕の下も覗いたが、携帯電話はなかった。

壁に掛けられたカレンダーは、20XX年11月・12月。
やっぱり一年進んでいる、と英二は思う。
正確に言えば、時間が一年進んでいるわけではなく、英二が一年戻ったわけだが。

机の上には、青学テニス部の全体写真が飾られている。
紛れもなく輝いている、「優勝」の二文字と部員たちの笑顔。
透明のプラスチック・ケースに入った錠剤。
散乱する紙の類を確かめれば、「MT お薬の説明」、「MT 服用後のご感想」、跡部景吾からのバースディカード、そして自筆のメモ書き。
どれもが、夜中の一件は現実であると告げていた。


階下に下りると、ダイニングのテーブルの上には、一人分の朝食がぽつんと置かれていた。
家族は誰も彼も出かけてしまったらしい。

英二は、ラップがかかった皿を電子レンジに入れてボタンを押した。
回るターンテーブルを見つめながら考える。

やっぱり、大石に薬を飲ませろ、ってことなんじゃないの?
メールしようとしたって、もうできないんだから。
などと、英二はいつの間にか、自分に都合のいいように解釈しはじめていた。

食卓に座りテレビをつけて、そのままのチャンネルの番組をぼんやりと眺めた。
土曜のお昼前後の番組など、どれも呑気そのもので、何を見たって大差はない。
それよりも英二の関心は、大石に薬を飲ませたらどうなるだろうかということだった。

英二は立ち上がり、電話器が置かれたチェストの小引き出しをあさった。
「テニス部連絡網」を探し当て、受話器を手に取った。


「はい、大石です」
大石の妹がかわいらしい声で電話に出た。

「えと、青春学園テニス部一年、…菊…池と申します。大石先輩をお願いできますか」
「兄は外出中ですが…」
「あ、そうにゃの」
「…にゃの?」
「いえ、えと、どちらへ…」
「塾だと思いますけど…」
「塾ぅ!?」




☆☆☆☆☆




「塾」というのは、青春台の隣の駅前にある進学塾だった。
それほど大手ではないが、割と昔からあり進学実績も豊富で地元では有名である。

英二は街道沿いに自転車を走らせて、その塾の前まで辿り着いた。
時間にして10分足らずである。
自転車置き場に隙間を見つけると、ねじ込むように自転車を止めた。

ちょうど学生の入れ替わりの時間帯のようで、入口付近は建物に入る学生と出る学生とでごった返していた。
こんなに中学生だらけで、果たして大石が見つかるだろうかと英二は少々不安になった。
だいたい、なんだって大石の奴は塾なんて通ってるんだ。
勉強熱心過ぎるだろう、と英二は心の中で毒づいた。


入口を入ってすぐ右に事務室があった。

「あの…見学できますか?」
「入塾希望ですか?まずこちらにご記入ください」

上の姉と年恰好はそう変わらないであろう、若い女性が応対してくれた。
渡されたアンケート用紙には、学校名以外は嘘八百を書き並べた。

「へえー。青学なんだー…」
「はい。あの、こちらに大石さんっていますよね?三年生で」
「…ああ。特進の」
「とくしん?かどうかはちょっとわからないんですけど」
「青学の子は他にいないから…。あなたも外部進学希望ということでいいのかしら?」
「が、外部進学!?」
「あら、違ったのかな?補習目的だと正直うちはあんまり…。ここはそれなりにポテンシャルが高い子でないとついて来られないわよ」

女性の話の後半は、英二の耳にはもう届かなかった。

「あなたも外部進学希望」と、彼女は確かに言った。
「あなた『も』外部進学希望」ということは、当然ながら「大石は外部進学希望」ということが前提になる。
…ということは、頭では理解できても、俄かには信じ難かった。


「…やっぱ、やめます。俺には合っていないかも」
「そう。でもせっかく来たのだから、校舎内の見学だけでもして行ったら?」

女性が促すのに、英二は素直に従った。
自分がぼんやりとして、何も考えられない状態であると英二は感じていた。

「ちょうど午後の授業が始まったところだから、授業見学もしてもらいたかったんだけれど…」
と言いつつ、女性は廊下の窓から教室の中を覗かせた。
「…ここが、例の三年の特進クラスね」

教師に一番近い最前列に、大石はいた。
話に熱心に聞き入り、ノートを取っている。

英二の知っている大石とは髪型も若干違うし、体つきはやや大きい。
何より表情が違うように思えたが、大石は大石だと英二は思った。

廊下を歩いていると、「11月28日」という文字が目に入って来た。
「私立難関模擬試験」のポスターであった。

そうだ、明日は俺の誕生日じゃないか、と英二は気がついた。



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