じゆうにへんかん20題

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  4 かいそう  

夢中で読んでいた文庫本から目を上げると、ちょうど電車のドアが閉まるところだった。

あっと思うと同時に電車は走りだし、ドアの外のホームには英二が下級生と談笑しているのが見えた。

英二は俺の存在には一向気付く気配はなく、話に夢中になっていた。

車内を見回すと、自分以外に乗客は一人もいない。

そうして初めて、これが回送電車だと気が付いて、なんだか絶望的な気分になった。

思わず座席に座り込んだその時に、目が覚めた。


☆☆☆☆☆



「…どういう意味があるのかな?」

「夢解き、夢占いの類は、科学的根拠の有無について完全に否定されている」

「…そうなんだ。毎晩みるから、何か意味があると思ったのにな」

彼ならば頼りになろうと乾に尋ねたのだが、相談事は一蹴されてしまった。

「だが、かくいう俺も、ここ一か月ほどいつも同じ夢をみている。奇遇なことに、電車の夢だ」

乾の場合は、乗り換える電車が見つからず、駅をさまよう夢だという。

「電車の夢は、人生の行き先について迷う青年期にみやすいと言われている。だからよくあることだ。心配することはないだろう」

もったいぶったくせに、ちゃんと調べてあるんじゃないか…。


乾に礼を言って別れてから考えた。

人生の行き先と聞けば大袈裟だが、悩んでいないといえば嘘になる。

好きになった人が男だった。

人生の一時期にはそういうこともあるだろう。

一生そういう人もいるけれど、間違ったことをしているわけではないし、差別的な感情もない。

それが他人のことならば、そう思えるのだけれど…。



☆☆☆☆☆



「回送電車かあ。」

「うん。久しぶりにみたよ」

英二は心配そうに俺の顔を覗き込んで、頬を撫でた。

「うなされてた?」
「…うん。俺の名前呼んでた…」
「え…」

「…あのさ。なんか迷ったりとかしてるわけ?」

英二は、くちびるをとがらせてつぶやいた。

一つ屋根の下で暮らすようになってようやく一年。
こんな説明の仕方では、疑いをかけられても仕方がない。
乾の話まで聞かせることはなかったと後悔した。

「そうじゃなくて…昨日さ、降りそこねちゃって…」
「…え?」
「…回送電車」

英二は吹き出すと声を立てて笑い出した。

「…車庫行っちゃったの?」
「うん。駅員さんにお説教された…」
「なんで教えてくれないの、そんな面白いこと…」

そうやって、笑われるからに決まってるじゃないか…。

英二は涙を滲ませながら笑っていた。


…まあ、いいか。
そんなに楽しそうにしてくれるなら。

ぐいと引き寄せて抱きしめたら、また声を立てて笑った。

お揃いのネルのパジャマを通して体温が伝わる。

寝起きのせいで、いつもより低いようだ。

髪の中に鼻を突っ込んだら、笑いながら脚をばたつかせた。

背骨の数を、上から順に指で数えた。

英二の笑い声が甘やかに変わっていくのを俺は聞いていた。

目を閉じてうっとりと聞き入っていた。






[かいそう−回送−(回想)]


end
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