じゆうにへんかん20題

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  3 おもい  

グレーのマフラーが、鼻のすぐ下まで念入りに巻かれている。
どれだけ寒いのかと言いたくなる。

両手に大小の紙袋を一つずつ。
紙袋の中には、想いが詰まったチョコレート。


英二が3年6組の教室から小走りに飛び出して来た。
行き先は同じだろうと思い、声をかけずに後ろを歩いた。

英二は、去年まで緋色のマフラーを巻いていた。
彼そのもののような色が、ほんとうによく似合っていた。

今年、英二がしているマフラーは、グレーの地にチェックの柄というずいぶん渋めのものだ。
このマフラーは彼に不似合いなどころか、むしろ大いに似合っていた。
地味な色合いが、彼自身の華やかさを引き立てていたからだ。

彼は、自分の魅力の在りかと表し方を知ったのだ。
大人になるとは一つには、そういうことをいうのかもしれない。


閉まりかけた部室のドアに滑り込んだ。

「…びっくりした」
「…ごめん」

驚いた英二と驚かせた俺とで、顔を見合わせて笑った。

英二は、笑いながらマフラーの首許をゆるめて、くちびるを覗かせた。

「大石も、チョコレート?」
「うん。重くて。食べ切れないし」

もらったチョコレートを後輩たちへのさし入れとして置いて帰る。
こんなこと、女の子たちにばれたら何を言われるかわからない。
だが、男子テニス部では、歴代されてきた内緒の作法なのだ。
俺も1年の頃は、帰り際にたくさん持ち帰ったものだ。
常にお腹を空かせている下級生にとっては、実にありがたいことなのだ。


机の端と端にそれぞれ陣取って、無言でより分け作業を始めた。
去年は、誰がいくつもらったと大はしゃぎもいいところだった。
だけど、今年はもうそれはしたくないし、できなかった。
恋という想いがどんなものかを知った今となっては。

女の子の気持ち。
重くて、持ち切れない。
叶えてやれないからこそ、余計に。
それ以上に、重い、俺の気持ち。
今の俺では、持ち切れない。


紙袋を体の正面に置き、右に持って帰るもの、左に部室に置いていくものと分けていく。
ひとまずは包み方から判断して、右に市販のもの、左に手づくりのものを置いた。
持って帰るチョコレートのほとんどは妹が食べるのだ。
何が入っているとも知れないものを妹に食べさせたくはなかった。

より分けた市販のチョコレートを紙袋に戻しながら、英二の方を見遣った。
彼は、大きめの紙袋から取り出した包みを一瞥し、一回り小さな紙袋に入れた。

小さい方の紙袋は、目を奪うほど鮮やかなオレンジ色だった。
彼らしい色をと、女の子が選んだものだろう。
その中には、同じオレンジ色のリボンがあしらわれたチョコレート色の包みがあった。
部室に入った時に覗き見たのだ。

しばらく見ていると、あくまで流れ作業の風だが、俺とは逆に市販のものを置いていくつもりなのだとわかった。
確かに、市販のものには義理チョコも多いわけだから、俺もそうすべきなのかもしれなかった。


手元に視線を戻すと、手づくりのチョコレートの包みを開けた。
部室中に香料の甘い香りが広がった。
それは、今の気分にあまりに不似合いなものだと感じられた。

メッセージカードを取り出して、紙袋の右側に置いた。
カードだけをうちへ持って帰り、処分するのだ。
表を下にして置いていく。
何となく、文面を見たくなかった。


そうしてすべてのチョコレートを確認し終わると、英二と目が合った。

「それ、一緒に入れようか?」
「…あ。うん。そうしてもらえるか」

彼が持ってきた大きめの紙袋にはまだ余裕があった。
部室に置いて帰るチョコレートを、その紙袋に入れてもらった。

英二はホワイトボードのマーカーを手に取り、紙袋の表に「ご自由に、大石・菊丸より」と書いて、ふうとひとつため息をついた。
そうして、オレンジ色の紙袋を手に取った。

英二は、誰と帰るのだろうか。


「さ、帰ろっか。…大石、帰れる?」
「うん。帰れる…」
「…こんな日に、男二人で帰るってのもナンだけどね。」

英二が明るく笑って、俺もつられて笑った。

部室のドアを開けると、夕刻の外界はなにもかもがオレンジ色に染まっていた。

だから、オレンジ色の紙袋の中身も、もう気にはならなかった。






[おもい−想い−重い]

end

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