「秀ちゃん、英二君来てるの?」
コンビニから戻った大石に、母が台所から顔を覗かせて声をかけてきた。
瞬間、心臓がどきりと大きく打った。
アイスを買いに走った間に、母が帰宅していたのである。
「う、うん…」
「ひさしぶりね。泊っていってもらったら?」
「ええ!?」
「…なに驚いてるのよ?」
口八丁で英二のくちびるをものにした後ろめたさからか、大石はどうにも母の顔が見られない。
「いや別に…」
「あのね、おじさんのところから栗をもらったのよ」
「うん?」
「だから、栗ご飯作ろうと思って…」
「ああ…」
それは英二が喜ぶだろう、と大石は思った。
「英二君が泊っていくなら、お野菜のてんぷらもしようかしら?」
「ちょっと、聞いてみるよ」
大石は2階の自室へと階段を駆け上った。
あんなことをした後では、泊るなんていやがるだろうか。
それはそうかもしれない。
しかし、そうはいっても、栗ご飯である。
この誘惑に果たして英二が勝てるだろうか。
自室であるがいちおうノックをし、ただいまと言いながらおそるおそるドアを開ける。
閉じていたカーテンは開かれていたが、部屋の電気は消えたままだった。
薄暗い部屋の中、英二は窓辺に佇んでいた。
暗いままではなんとなく気まずくて、大石は電気を点けた。
「アイス…」
「ん…」
英二は差し出したアイスを受け取り、すぐさま蓋を開けて食べ始めた。
瞳は伏せたままで、一度も目が合わない。
蛍光灯の下で見ると、英二のかわいい鼻が赤みを帯びていた。
先ほど涙と同時に出した鼻水のせいだ。
なんとも気まずい気分で、大石も買ってきたアイスの蓋を開けた。
「さっきはごめんね」
「…」
「母さんがさ、『英二君泊っていかない〜?』だって。言うんだけど…」
大石は母の声色を真似て言ってみた。
「…やだよ。危ないもん」
「…危ないってなんだよ」
「危ないは危ないだろ」
「…じゃ、居間に寝ればいい」
「別に泊まらなくても…」
そこまで話して、大石はやっと栗ご飯のことを思い出した。
「今晩、栗ご飯だからさ」
「栗ご飯?」
いい反応である。
「うん。母さん、英二が泊って行くなら野菜のてんぷらもするって言ってた」
「おばさんのかき揚げ、うまいんだよな〜…」
ますます、いい反応である。
大石の母が作るかき揚げは玉ねぎと桜海老だけのシンプルなものだが、これは確かに絶品であった。
「居間に寝ても変だと思われないかな?」
「DVD見るってことにすれば?」
「え。おまえも居間に寝るの?」
大石はとことん警戒されているようであった。
しかしそんなことで怯んでいては、男がすたるのである。
「寝なければいいだろ。明日休みなんだし」
「まーねー…」
渋々という感じだがとにかく了承を取り付けて、大石はほくほくと母へ報告しに行く。
コンビニから戻るまで、2回目のちゅーをしようと目論んでいたことなどすっかり忘れている。
そして夕飯時である。
「美味しい!おばさんのかき揚げ最高!」
にこにこと満面の笑みの英二。
それを見て、こちらも満面の笑みの母。
父から帰宅が遅くなると連絡が入り、では先に食べましょうといそいそと支度を早めた母であった。
何を作っても反応が薄い父よりも、オーバーリアクション気味の英二相手の方が、作り甲斐というものがあるのだろう。
「俺、栗ご飯、今年初めてです」
「そうなの?うちは2回目。最初の時も英二君に声かければよかったわー」
プラス妹で、4人の食卓。
妹は妹で、英二の顔を心なしかうっとりした表情で見つめている。
「あたしも英二君みたいにしたい〜」
「えっ」
思わず3人が同じ反応でもって、当の妹に注目した。
なんのことだ?と大石は母を見、母も首をかしげて大石を見た。
「もしかして、これのこと?」
英二は自分の外はねの髪を指でつまんで、妹に問いかけた。
「そう!くりんくりんってしたいの〜」
妹はますますうっとりとした顔で英二を見上げる。
「う〜ん。でも、この髪型は小学生にはちょっと大変じゃないかな」
英二が妹をなだめようと、優しい口調で語りかける。
「そうよ〜。ドライヤーとかできないでしょ」
「できるもん!英二君みたいにしたい〜」
母もなだめようとするが、妹は聞かない。
「英二君の髪型って、時間かかりそうだけど…」
「そうですね…20分くらいかな。時々失敗してやり直したりするとプラス10分」
なんと、英二は長い時は30分も髪型に時間をかけていたのか、信じがたいと大石は思った。
それでは遅刻もするはずである。
大石としては朝は貴重な時間、身支度もそこそこに家を出るくらいが性分に合っていた。
「だって。あなたには無理ね」
と言って、母は妹の方を見て笑った。
大石の妹は大石とは異なり、朝は弱い方である。
目覚まし時計では起きられず、母にまかせっきりであった。
「む〜…」
妹は不満げに頬を膨らませて俯いてしまった。
「じゃあ、中学生になったら教えてあげるよ」
英二の一言に妹が顔を上げる。
「ブローのコツを教えてあげる。あと、カットの時にどうやって段を入れてもらうか…」
「ホント?」
妹の瞳が揺れる。
「よかったわね。××中学の制服にきっと合うわよ〜」
母が妹を囃し立てる。
「××中学受けるの?あそこの制服かわいいよね。楽しみだね」
英二が笑いかけると、妹もえへへと笑った。
「じゃあ、受験がんばらなきゃね〜!」
傍らで母が鼻息を荒くした。
「英二君、栗ご飯のお代わりは!?」
「あ、いただきます!」
大石宅では食後に果物を食すのが常であった。
英二に言わせると、こういうところが「いい家」っぽいということだ。
英二はぶどうの皮を几帳面に剥いては、皿の端に置いていく。
妹は英二に寄りかかり、皿の端に置かれたぶどうを口に運ぶ。
このひとときは大石にとって至福の時間となった。
大石からすれば、愛おしくかわいらしい者が二人、肩を並べ仲むつまじくしている。
見つめる瞳も頬も緩むのであった。
「妹ちゃん、寝る時間じゃない?」
英二が大石に問いかける。
時計を見ると、まもなく10時である。
「そうだな。おい、そろそろ寝る支度をしなさい」
こういう時、大石は自然と父の口調そのままになっている。
妹を促して部屋に戻らせると、居間にいるのは大石と英二の二人だけになった。
母は隣宅に回覧板を渡しに行ったきり、30分以上も戻ってこない。
おそらく立ち話が盛り上がっているのだろう。
「俺、やっぱり帰るよ」
「え?なんで…」
「アイロンがないから」
アイロン?アイロンならうちにもあるが…と大石は訝しく思う。
「ドライヤーだけだとうまくいかないんだよねー」
話の展開から、アイロンとは服の皺を伸ばすアレではなく、髪の毛をどうこうするものかと大石は推測した。
「朝のうちに帰ればいいじゃないか、帽子をかぶっていけばわからないよ」
と言いながら、帽子など体育の時の紅白帽と、海で買った安物の麦わら帽子以外になかったろうとも大石は思う。
「えー、何言ってんの。やだよ」
英二は笑って、付け加えた。
「それに、妹ちゃんの夢を壊しちゃいけないじゃん?」
英二は緑色のぶどうを口に運んだ。
指についた滴を舐めとって、立ち上がる。
「おばさんに、ごちそうさまって言っておいてね」
そう言った英二の微笑みは、なんとも言い難い大人びたものをたたえていた。
大石はどきりとして、何も言えずに英二を見送った。
そうは言っても、やはり嫌われたか敬遠されたに相違ない。
落ち込む大石である。
2回目のちゅーをしそびれたことなど、すっかり念頭から外れている。
髪型がきまらない自分を、大石に見られたくない。
そういう英二のオトコゴコロの変化を大石は知る由もない。
大石はぶどうをひとつ房から取って、そのまま口に入れた。
歯の先で皮を押し出したが、口の中にはどうにも渋みが残った。
英二がしたように、皮をきれいに剥いてから口に入れれば良かったと後悔した。
秋の夜に、一人悶々とする大石なのであった。
「ちゅーがくせい日記2」end
3に続きます
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