ちゅーがくせい日記


「このコ?新しいコって?」
「そう」

英二が目ざとく新入りの熱帯魚を探し当てた。
動体視力が優れている彼だが、視覚的な記憶力も人並み以上だ。
まる2年間ダブルスパートナーを務めた大石は、そんなことなどとっくに承知である。

「メダカの出目金みたいだな〜」
「ほんとにメダカの仲間だよ」
「えっ、そうなの?」
「うん。原産は南米だけど…」
「ふうん。おまえさん、そんな遠くから来たんだねえ」

沈黙が流れる。

「…なんか飲む?」
「いいよ。さっき子猫のおばさんちでジュース飲んだし」

と英二は言うが、大石は手持ち無沙汰であった。

触られても平気、と英二は言った、確かに言った。
でもって、大石は下心満載で英二を自宅に招いた。

とはいえ、経験はまるでない。
どうやってそういう場面に持ち込めばいいのやら、全く見当つかず途方に暮れる大石であった。

とりあえずと、水槽に顔をつけんばかりに覗きこんでいる英二の隣に立った。

「出目金ちゃん、眼の上が光ってる」
「うん、部屋を暗くすると蛍みたいに光るんだ」

と言ってから、あ、と大石は気がついた。
また、イヤラシイとか言われるんではないかと。

「まじ?見たい!」
英二は、大石の心配には一向気付かぬ様子である。

「じゃ、じゃあ…」
挙動不審を勘ぐられまいと大石は慎重に返事して、カーテンを閉める。

大石は寝付きが悪い方である。
そのため、部屋のカーテンは、遮光100%を選択するのが常であった。

2枚のカーテンの隙間から、夕暮れ時の光がわずかに差し込む。
水槽の青白い光がぼうっと立ち上るように輝く。

「すごい!」

ほのかに蛍光色を帯びた緑色の光が、水槽の中を遊泳している。
そのなめらかな動きを目で追えば、「出目金ちゃん」の小さな眼の真上である。

「これ、いっぱいいたらすごいな」
「だろうなあ」

そう言いながら、中学生の小遣いではそれは無理だと大石は思う。

いつか自分が働いて稼ぐようになったら、それも可能だろう。
水槽をこの「出目金ちゃん」でいっぱいにして、英二に歓声を上げさせたい。

それまで、一緒にいられたら…。
思いながら、隣を見遣る。

青白い光を受けた英二の横顔は大人びて見え、まるで別人のようだと大石は思う。
視線を感じた英二は、大石の方へ顔を向ける。
いつもの癖で、まばたきと同時に瞳をくるんと動かす。

大石は右の手の平を英二の肩に置いた。
英二はちらっとそれを見遣り、また、大石の顔に視線を戻す。
ただならぬ雰囲気に、ぱちぱちと二度まばたきをし、瞳はくるくると二回転した。

大石はほんの少し膝を曲げて、英二の顔に自分の顔を近づけた。
あと少しでくちびるとくちびるが触れる、という時に。

「ちゅーすんの!?」
英二が声を上げた。

「い、いけなかった…?」
大石はあくまで弱気である。
させていただく立場である、ということは重々承知なのである。

「ちゅーはだめだろ」
「…触ってもいいって言ったじゃないか」
「それとこれとは別に決まってるじゃん」

どこでどう決まってるかと言えば、英二の中で決まっているだけなのだ。
そう思っても、大石は反論できる立場にない。

「ちゅーは特別なんだから」

英二は神妙な顔つきでそんなことを言う。
大石はさっき初めて聞いた、英二の将来の青写真を思い出した。
高校を卒業してすぐ結婚するとかいう、幼いようで現実味のあるライフプラン。
それを聞いて大石はかっとして、英二の手首をひねり上げてしまった。
その時の、心臓の鼓動を思い出す。

後悔はしたが、あの陶酔感も忘れ難かった。
きっと睨んだ英二の瞳の端には、わずかに恐怖が浮かんでいた。
それを思い出すとぞくぞくとしたし、もう一度あの表情を見たいとも思う。
サディスティックな欲望が人並みに自分にも備わっているのだと、大石はその時初めて気がついたのだ。

とはいえ、一日に何度もそんな欲望を吐き出していれば嫌われるのは目に見えている。
大石は、英二を押し倒してくちびるを奪ってしまいたいという気持ちをぐっとこらえた。

「じゃ、触るのはいいの?」
「…いいよ」

強がってはいても、英二の内心は恐怖半分である。
言い出した手前引けない、それだけである。
それくらい、大石にもわかった。
目的は、触ること、ではないのである。

大石は、英二の詰襟のホックを外した。
英二が息をのむ。

「…でも、触るだけって、痴漢みたいじゃないか?」
大石は考えあぐねた一言を問いかける。

「ち、ちかん?」
「そうだよ。なんか気持ち悪いだろ?」
「う、うん。気持ち悪い…」
「だろ?こういうのは手順を踏まなきゃおかしいことになるんだから」

そう言いながら、大石は英二のくちびるに指で触れた。
いつもみずみずしいくちびるは、今は緊張で乾いていた。
それを人差し指で突くように押す。

「だから、ちゅーしてもいい?」
「んー…。じゃ、あれはダメ、口の中はダメ」

つまりは、くちびるとくちびるが触れるだけならいいということだ。

大石は再び、少し膝を曲げて、英二の顔に自分の顔を近づけた。
怖がらせないようにゆっくりと、くちびるにくちびるを押し付ける。

かさかさの、英二のくちびる。
大石は押し当てたくちびるを少し離すと、舌で英二のくちびるの表面を舐め上げた。

「っっ!ちょっ!」
英二は慌てて体を引きはがそうとする。

一回り大きい大石の体は、英二の体を上から抱き込んで離さない。
大石はもう一度、英二にくちづけた。
英二の体がびくんと小さく跳ねた。
魚のようだと大石は思う。

くちびるを押し当てて、離す。
押し当てて、離してと、幾度も繰り返した。

予想外の事態に、英二はパニックしてべそをかきだした。
そこまで来て、さすがに大石も体を離した。

「じゅ、じゅうななかいも、した!」

ぐすぐすと鼻をすする英二に、大石はティッシュの箱を差し出す。
英二はばっと荒々しくそれを奪い取ると、ティッシュの一枚を抜き出して、ちんと鼻をかむ。

「…ごめん、つい…。でも、1回しかダメだとは言われなかったし…」

わざとらしく頭をかく大石。

詭弁だ、と英二は言いたかった。
が、英二にそんなボキャブラリーのバリエーションはないのである。

「さ、サギだ!大石はサギ師になっちゃったんだ!」
そう言うと、英二はまたぐすんぐすんと泣きだした。

「…ごめんね。あ、アイスあるんだけど、食べる?」

こういうとき、とりあえずは食べ物である。
さすが長い付き合い、英二の機嫌をとる術を大石は心得ている。

「…食べる。でもシャリシャリのじゃなきゃヤダ」
「じゃ、ちょっと買いに行ってくるから待ってて。何味がいいの?」
「練乳ので、真ん中がアイスのやつ」
「了解、しばしお待ちあれ」

これくらいで機嫌が直るのであれば、お安いご用なのである。
大石は嬉々として使い走りを仰せつかり、部屋を出ていく。

水槽の光以外は真っ暗な部屋に、英二は一人残された。
自分の指先でくちびるを押しては離す。

大石に無理やりされてしまったが、別に嫌だという気持ちは起きなかった。
泣いたのはいきなりのことに驚いただけである。

それよりも、くちびるに宿った熱に英二は戸惑っていた。
自分の指よりも明らかに熱いそれに気付き、ほうとため息をつく。
心なしか頬から耳までも同じように熱いのである。

冷たいアイスを食べれば、この熱もおさまるだろう。
きっと、すぐにおさまる。
英二はそう思って、もう一度ため息をついた。
大石の心中など知る由もない。

そのころ大石は、英二がアイスを食べ終えたら二度目をしようと心に決めていたのであった。




「ちゅーがくせい日記」end

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