Stand by me
英二の跡部邸レポート3
犬におやつタイムがあるように、跡部家の使用人にもおやつタイムがある。
それは午前と午後の2回だが、週に1回金曜の午後が使用人のお茶会の時間となっていた。
俺はその日初めてお茶会へと出席した。
義務ではないので、出席者は使用人全員ではない。
必然的に、女性が中心、しかも中年以上の年代が多かった。
そういうわけで、初めて参加したこともあり、俺はそのお茶会で質問攻めにあう羽目になった。
「ねえ、ぼくまだ中学生?」
「はい、今度、中3です」
「まあ、大変ねえ。借金?」
「あ、そんな感じです」
「お父さん?」
「いえ、兄です」
ずばりだった。
自分のような境遇で、ここで働く者が今までもいたということだ。
「でも幸運だったわよ。借金作ったのがここで」
「そうよ、普通なら、こんな環境望めないわよ」
「ほんと、私たちなんてアレだけど、若い子なんて下手すりゃ売られててもおかしくないんだから」
「そうよー。ぼくだって、若くてかわいいでしょ。普通ならアレよ、売られちゃうわよ」
聞くと、驚いたことに跡部家の使用人のうち、十名前後が自分同様、債務者かその身内だった。
こんなに大きな家なのだから、身元のしっかりした者しか雇わないものだと思っていたが意外であった。
なるほど、そうとなれば犬の世話係が1年間に4人も代替わりしたというのもわかる話だ。
つまり、あの仕事は基本的に債務者に担当させることになっているのだろう。
おばさんたちのいうとおり、手っ取り早く回収するためなら、こんなにまどろっこしいことをする必要はないのだ。
兄の借金がいくらかなど、聞いたら藪蛇になりそうなので尋ねなかったが、労働で返せる程度の額なのだ。
逆にいえば、相手が悪ければどういう展開になっていたかわからないということだ。
ちょっと想像してゾッとした。
と同時に、人の道を外さない跡部を見直しもした。
お茶会が終わると、夕食の準備の時間帯だった。
厨房の横を通ったとき、中から声をかけられた。
「ぼうや、これを景吾さまに持っていってくれるかな」
頭にコック帽を載せたおじさんが、小皿を手にしていた。
「はい、いいですよ」
二つ返事でOKして、小皿を見下ろすと、小麦粉を揚げたかたまりが3つ載っていた。
「これ、おいしいですよね。うちも、トンカツのときとか、ばあちゃんが作ってくれます」
揚げもので使った溶き卵に、やはり残った小麦粉とパン粉をざっくり混ぜて揚げただけ。
見てくれはできそこないのドーナツだが、食べてみればこの素朴さが癖になる。
夕食前のお腹が減ったときにこれを祖母にねだって食べるのは、こたえられない美味しさだった。
菊丸家では、砂糖と塩を多めに入れて濃いめの味つけで食べていた。
「景吾さまの好物だよ」
「へえ、意外…」
あの跡部が、こんな素朴な食べ物を好むとは、予想外だった。
「うん。そもそもは大奥様の好物だったんだ」
「大奥様?」
「先月亡くなられた、景吾さまのおばあさまのことだよ」
☆☆☆
「…跡部って、いいやつだな!」
大石が、感動した表情を浮かべて、顔を上げた。
大石が手にしているのは、英二による跡部邸レポートである。
レポートの依頼者は乾であった。
英二が跡部家へ奉公に上がって10日が過ぎた。
英二は終業式も休み、春休みに入ったが、まだ帰って来る気配はない。
そういうわけで、部室に正レギュラー候補が雁首揃えて相談を始めたところである。
「だけど、結局のところ、なんで英二が働かなきゃならないわけ?」
不二には、相変わらずそこのところが釈然としない。
「そこだ…」
乾が言いかけたその時。
青学テニス部2年生部長(来年度も)、手塚国光が部室に入ってきた。
「菊丸はまだ戻って来ないのか」
「ああ。いつ頃になるか聞いてみ…」
大石が言い終わらないうちに、手塚は再び口を開いた。
「今から迎えに行ってくる」
手塚は有言実行の男である。
彼はそのまま跡部邸へと出向いた。
大石は同行を希望したが、乾と不二に阻まれてしまった。
☆☆☆
翌日、英二は青学テニス部にあっさり復帰した。
「跡部をなんと言って説得したんだ?」
大石が手塚に尋ねる。
「説得?うちの部員を返せと言っただけだ」
「…そんな言い方したのか?」
「うむ。返せとは言わなかった。正確には、返してくれといったのだ」
「借金はもうチャラってこと?」
不二が心配そうに眉をひそめる。
「知らん」
「知らんって。子供のおつかいじゃないんだから…」
「先月、おばあさまが亡くなったと言っていた」
「は?」
「それで、思い出話を聞いたのだ。そう、3、4時間も聞いただろうか」
「そんなに長く?」
「ああ。紅茶も非常に美味しかったし、それほど長くは感じなかったが。良い話であった」
手塚の表情は穏やかだった。
こんな表情をする男だったのか、と不二は思った。
☆☆☆
久方ぶりのコンテナへと足を延ばすため、帰り道で英二と大石は他の部員と別れた。
「おばあさまが亡くなって、跡べーは寂しかったのかな」
「そうかもなあ」
「あのね…。やっぱなんでもない」
跡部は手塚の写真を持っていたんだよ、と喉元まで言葉が出かかった。
これは秘密、秘密。
そう思って、英二はこらえた。
兄でなく、自分だったのは。
自分が跡部家へ呼ばれたのは、跡部が手塚と関わりたかったためではないか。
英二は、そう感じていた。
跡部はすべてにおいて人の上に立たなければならなくて。
相手の弱さを気遣い守るのが仕事になっているけれど、彼だってまだ子供なのだ。
跡部を守れる人は、跡部より強い人でなければ務まらないのではないだろうか、と英二は思った。
誰かがこの世からいなくなったら、その代わりになる人はいない。
だけど、その寂しさを埋めてくれるのは、やはり、誰であれ「人」でしかありえない。
跡部は、それを手塚に求めたのだろうか。
「うちのばあちゃんが死んじゃったら」
「ら」まで言っただけで、英二は涙声になった。
大石の手が伸びて来て、英二の手をぎゅっと握った。
英二は、黙ってそれを握り返して、大丈夫かも、と思った。
end
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