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英二の跡部邸レポート1


「俺、今日から跡部家に奉公することになったから」

英二がそんな突拍子もないことを言い出したのは、2年生の学年末考査最終日だった。

「え。いまなんて言ったの?もう一回…」
あっけにとられた不二が聞き返す。

英二はそれには答えず、ペンケースをかばんにしまい、今度はそのかばんの中から白い封筒を取り出した。
表には「休部願い」と書かれていた。
英二の子供っぽい字とは異なる、明らかに大人の手によるものだった。

「これ、スミレちゃんに出したら、その足で跡部んちに行くんだ。明日からちょうど試験休みだしな」
「…行くんだって、そんなあっさりと。ちゃんと説明してくれなきゃ心配するじゃないか」

一体何があったのか、こちらが尋ねなければ説明すらしてくれない。
その唐突さと、自覚のない不親切さは、いつものことだ。


英二は、うーんとねと、大きな瞳をぐるんと天井に向けて、思い出すように語り始めた。

英二の長兄は大学生のはずだが、もう長いこと大学構内に足を踏み入れていないという。
その兄が、秋葉原に出店したフランチャイズ店を潰してしまった。
ごく簡単に言えば、英二の兄は債務者となり、債権者が跡部景吾その人だった。
つまりは、英二は兄の借金のかたに、跡部家でただ働きをすることになったというわけだ。

「その会社ね、跡べーのだったの。びっくりじゃない?」
「でも、それで、どうして英二が奉公することになるわけ?」
「うーん、なんでかな?でも兄貴に頼まれたし、俺もOKしちゃったしなあ」

英二はそう言って、あははと笑い飛ばした。



☆☆☆



跡部家は、最寄りの駅から歩いて10分ほどだという。
この辺りは明治時代には文人が集った文化地区であり、現代では上品な雰囲気漂う住宅街であった。
ゆるい坂が、左へとカーブしながら上っている。
それを道なりに進む。

不二は、釈然とせぬ思いのままで英二に同行した。

同行者は他に、乾、大石、桃城と、思いのほかの人数となった。


まず、教室から体育教官室へ行く途中で、乾に見とがめられた。
英二と不二との二人連れで教官室へ行く姿を、乾は入学以来初めて見たと言うのである。
そうして、何かあるだろうと確信し、教官室まで着いて来た。

その三人連れで体育教官室へ入ると、そこには偶然、大石がいた。

桃城はというと、火曜日のお約束でジャンプを上納するために、英二を探して廊下をうろうろしていた。


「ほんと、ごめんね。俺のせいでダブルスの練習できなくなっちゃって」
「英二のせいじゃないよ。それより、奉公って一体何をするのかなあ。大変な仕事じゃないといいけど…」

英二と大石は三人の後ろから、ゆっくり歩いてくる。
駅からずっとこの調子で同じ話を繰り返していた。


「ねえ、このまま道なりでいいのかな」
不二がぐるりと頭を巡らせた。

坂を上り切った道は、右側から走って来るもう一本の道と合流し、4車線の広い道路となる。
通行量も増えて、道路の反対側へは陸橋が架けられている。

「…いいみたいだな」
乾が指差した先には、「跡部邸 この先左」と、ご丁寧にも標識が掲げられていた。

「すごいな。個人の家とは思えない」
「跡部邸は、春と秋にバラ園を一般公開しているんだ」

「…観光地ってことすか?」
桃城があきれたように、ため息をつく。


標識通りに道なりに進むと、左手に大きな石造りの門が現れた。
その前には、またもご丁寧に標識が備えられ、そこが跡部邸で間違いないと告げている。
その目の前にはバス停があり、「跡部邸前」と書かれていた。

「…すごいね。本人は使いそうもないけど…」
不二の微笑みがひきつる。

門前には、呼び鈴らしきものが存在せず、不二たちは思わず後ろの英二と大石を見やった。

「もしもし、跡べー?じゃなくて景吾さまですか?」
英二が携帯電話を片手に近づいてくる。

「いま、どこ?じゃなくてどこですかー?」
英二が振り返り、それにつられて全員がその方向に目をやった。

ジャージ姿の跡部景吾その人が、やはり携帯電話を片手に、大きな洋犬を連れて坂を上って来るところだった。

「あーん?一人で来るかと思ったら、ご一行様じゃねーの?」



☆☆☆



跡部邸の応接室に通された。
と思ったら、そこは犬専用の個室だった。

ネタの宝庫に足を踏み入れてしまった、と不二は思った。


ふかふかのソファに浅く腰かけて頭を巡らすと、額に入った賞状と写真、そしてトロフィーの数々が5人を圧倒した。

「あのー、俺んち犬いたけども、ポメの雑種で、頭も悪くて芸の一つもできない子で…」
英二は紅茶の入ったカップをソーサーに戻すと、両手を脚の間に入れてもじもじとすまなそうにうつむいた。

「芸なんてできる必要ねえ。犬は美しければそれでいい」
差し向かいに座った跡部は、傍らの洋犬をいとおしげに撫でた。

「それに、トレーニングは素人にはできねえ。菊丸、おまえがやるのは散歩、食事、掃除、グルーミング、それだけだ」

なあんだと、英二は傍目にはおおげさなほど安心して見せた。

「それだけだが、回数は各3回だ。楽な仕事でもないぜ」
「え!?掃除も?」
「ああ。こいつはきれい好きなんだ。おっと忘れてた、おやつタイムもおまえの仕事だ」
「おやつタイム!?」

英二の反応に、青学の4人は「パブロフ」だ、と思った。
英二は「おやつ」という言葉に反射的に反応したに過ぎない。
自分たちの目の前のテーブルには、焼き菓子が供されていた。
派手な外観ではないが、おそらく上質の材料で作られた、素朴ながらどことなく上品な菓子だった。
英二が長兄にどうやって言いくるめられてこういう展開になったのか、なんとなく想像がつくというものだ。

「ただし、食事もおやつもきっちり計量するんだぜ。こいつが太ったら、菊丸おまえ、首くくれ」
「えーっ!」


「ところで、ご一行様の中に、部長殿がいないんじゃねーの?」

「ああ、手塚は今頃、竜崎先生から聞いているだろう。本来なら報告すべきだったが、俺も動転してしまって…」
大石が頭を掻いて答えた。

「ふーん」

跡部は、面白くなさそうな表情を浮かべて、傍らの犬を撫でた。



☆☆☆



跡部邸での第一日目が、実質半日とはいえなんとか終わり、英二は与えられた部屋をぐるりと見回した。
使用人の部屋とはいえ、しつらえは豪華で手抜きのない内装である。

「きれいすぎて、落ち着かないにゃー」

英二は携帯電話に手を伸ばした。
今日着いてきてくれた4人にメールを、と文面を考える。


「まずは、不二へ…と」

 不二、びっくりさせちゃってごめんね。着いてきてくれてありがとー。わんこはすぐなついたし、かわいいよ。
 散歩は距離が結構あるけど体力づくりになるからいいよね。心配しないでね、またメールするね。


「おーいし…」

 大石、俺の都合で練習できなくてごめんなさい。わんこはかわいいし、ご飯もおやつもすごくおいしいよ。
 全然大丈夫だけど、夜は一人なのでちょっとさみしいからまたメールするね。


「あ、そだ。桃…」

 桃、ジャンプ、後で読むから全部とっといて。捨てたらぶっ殺す!


「…で。乾、と…」

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