シグナル


どうして、今まで気づかなかったのだろう。

大石のこと、全部、わかっていたつもりだったのに。

どうして、今まで気づかなかったのか。
その答えは、簡単だ。

大石が、男だからだ。



帰宅してから、着替えるのも忘れて、俺は考え込んでいた。
制服のままで、2段ベッドの下の段に横たわり、ひとり悶々としていた。

ノックもなしに部屋の扉が開いて、同室の兄が入ってきた。

「あ!英二!また俺のベッドに寝やがって」
「…おかえり」
「おかえり、じゃねえ。どけ」

兄は、宙に組んだ俺の脚を小突くように蹴った。
仕方ないので、重い腰を上げかけて、ふと思いついて兄に尋ねてみた。


「なあ、男同士で、セックスって。できんの?」

「はあ!?おまえ、疲れて帰ってきた兄にその質問はなんだ」
「知らないのか…」
「知ってるよ!できるにきまってるだろ」

「どうやってすんの?」
「…この間見たAV、思い出してみたらわかるだろ」

先日兄が持ち帰って二人で見たAVは、いつもより少々ハードな内容だった。
俺は、女優1人と男優2人とが絡む姿を頭に浮かべて、なるほどそういうことだったかとやっとわかった。

「おまえ、男とやりたいわけ?」
兄が投げて寄こした下卑た質問は、俺の耳を素通りしていった。


考えてみれば、大石とセックスする、ということは、女の子とセックスするよりも、よほど現実味があることだった。

女の子とするならば、まず付き合って、お互いにこの人と思ったらする、そういうものだろう。
この人、と思うまでに、どれぐらいの月日がかかるものなのだろう。
俺には、全く想像もつかないのだった。

俺は、両親のように18歳で結婚したいと思っていたから、それまで待つのが格好いいと考えていた。
女の子は、最初は痛くて死にそうだとか聞いていたし、子供ができたって自分に責任はとれないから。
その一方で、付き合い始めたらそんなきれいごと、なかったことになってしまうのかな、とも思っていた。

女の子とのセックスは、それくらい、遠い世界の現実味のないものだった。


だけど、大石と俺の間には、すでに深い信頼関係がある。
女の子じゃないから、傷つけやしないか、妊娠しやしないかと心配する必要がない。

そういう意味で、あまりにも、ハードルが低いのだ。

たとえば、俺が承知さえすれば。
関係はあっけないくらいに進むだろう。

現実味がある、というのはそういう意味だ。

恋愛対象として好きかとか、セックスしたいとか、そういう意味じゃなくて。



鞄に入れっぱなしの携帯電話が、けたたましく音楽を鳴らした。

着信したメールの送り主は、例の、森さんだった。



☆☆☆☆


森さんに呼び出されて、青春台の駅ビルまで出向いた。

人形が出てくる仕掛け時計の下に、彼女は佇んでいた。
少し痩せたようだった。

何を言ったらよいかわからず、ただ、落ちくぼんで見える彼女の瞳を見つめた。
森さんは、申し訳なさそうにうつむいてまぶたを伏せた。

「ごめんね、ほんと、いろいろ…」
彼女が先に口を開いた。

「話そうか」
それだけ答えると、二人で歩きだしてなんとなくエスカレーターに乗った。

どこか店に入るかと尋ねたが、すぐ済むからと、フロアの隅のベンチまで案内された。

隣のCDショップから、音楽が流れてくる。
軽快なポップスが沈黙から救ってくれる。


二人で並んで腰かけて、俺は彼女の靴の先を眺めた。
刺さりそうなほど先端が尖っている。
こういうのが趣味なのか、と初めて知った。

彼女のことを、俺は、たぶん何も知らないのだ。
その場限りの軽薄な会話を楽しんでいただけなのだ。
話の間に、彼女は俺を深く知ろうという質問を投げかけてきていたというのに。
俺は、彼女のことを知ろうとすらしなかった。


「いろいろ嫌な思いさせちゃって、ごめんね」
森さんは森さんで、俺の靴を眺めながら、そう切り出した。

「友達とか、親とか、うるさくて…」
「そんな。謝らないでよ」

「うちの親ね、母も祖母も、女子大出てすぐお見合い結婚していてね。失恋とか経験したことないの。だから、わからないのね。びっくりしちゃったみたい…」
「お母さんたちに、心配かけちゃったのか…」

「いいのよ。私ね、焦ってたのかなあ。友達はみんな固いって言ったけど、ほんとはどこかで無理だって。わかってたの」

何も言う資格がない俺は、黙って彼女の話の続きを待った。

「母さんたちみたいなの、すごく嫌で。ぼやぼやしてたら私も同じになるような気がしちゃったのね」

庶民にはわからない、森家の大人の事情というのも関わっていそうだと感じ、俺はまた、ただ黙って聞いた。


ビターンと盛大な音を立てて、目の前で小さな男の子が転んだ。

あ、泣くぞ、と思ったが、必死に堪えている。
涙目だ。

森さんが男の子に駆け寄って、抱き上げた。
大丈夫、と尋ねると、案の定、男の子はぐすぐすと泣き出した。

放っておけば、泣かなかったのに。
そう思いながら、男の子を慰める彼女の後姿を眺めた。

女の子が子供をあやす姿というのは、なんと自然で美しいものだろう。
どんなに年若い女の子でも、そこには母の姿が見える。

彼女に限らず、女の子と恋をして、結婚すれば、この男の子のような子供ができるのだ。


俺は、なぜだか急に、大石のことを思い出した。

大石は、子供とか、欲しくないんだろうか。

俺なんかの、どこが、どう、いいんだろう。



☆☆☆☆



森さんをバス停の前まで送った。

駅前のロータリーの行列に並んで、二人で秋晴れの空を見上げた。

10分ほど待って、バスが来た。

「明日から、学校、行くから」
森さんは、俺の顔を見上げて、しっかりと目を見て、そう言った。


歩道側の座席に座った彼女は、バスが走り去るまで、こちらに手を振って寄こした。
俺も応えて手を振った。

そうして、バスが走り去ってしまうと、置き去りにされたような寂しさに襲われた。

明日、学校で会う森さんは、今しがた別れた森さんとは別の人になっているような気がしたから、かもしれなかった。



駅から家の方向へとしばらく歩いてから、俺は思い直して、来た方向へと戻り始めた。

行く先は、大石の家だった。
ただ無性に、会いたくて、会いたくて、しかたなかった。


携帯電話を取り出して、今家にいるかとメールを打った。

すぐに戻ってきた返信には、「英二のうちへ行くところ」と書いてあった。

胸の奥がギュッと絞られたみたいになった。

俺と同じタイミングで、大石も、俺に会いたいと思ってくれた。
ただ、それだけのことなのに。


大きな街道のところまで来ると、道を隔てて反対側に、大石が立って手を振っていた。

泣きたくなった。

信号が青になり、すぐに駆けて行きたかった。
だけど、脚が自分のものじゃないみたいに動かなかった。
そのまま佇んで、大石が走って来るのをぼんやり見ていた。


大石はこちら側へ渡って来ると、鞄を開いて見せた。
透明のプラスチックのケースに入ったDVDが覗いて見えた。

「ほら、これ一緒に見ようと思って。英二が見たがってたやつだよ」

DVDの白い面には、大石の癖のある字で走り書きがされてあった。
お願いして録画してもらった、CSで放映された試合のものだとわかった。

「英二の用事は、なんだったんだ?」
大石は、自分の家の方向をちょっと振り返って尋ねた。


用事なんて、ない。
ただ、おまえの顔を見たかっただけだ。
会いたかっただけだ。

そんな台詞も、友達同士のままだったら、おおいに不自然なのだろう。


「俺は。大石に会いたかっただけ」

大石の瞳は、まばたきを忘れて、擦りガラスのように何も映していないみたいだった。

ただ、おまえの顔を見たかったから。
言い訳なんか考えずに、素直にそう言って、会いに行きたいんだ。
今も、これからも。

セックスしたいとは、まだ思えないけれど。


俺は、ただ人恋しいだけなのか。
それとも、おまえだから、なのか。

どちらがほんとうなのだろう。


おまえ次第だよ、どうする?

擦りガラスの瞳を見つめて、俺は答えを待った。




end

最後までお読みくださりありがとうございました!

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