シグナル


「菊丸、この後、ちょっといいか」

放課後のホームルームが終わった直後、担任教師に声をかけられた。

担任が話したいことは察しがついた。

先週、俺が振った、あの娘のことだって。


☆☆☆☆


職員室の隣に小さな会議室がある。
担任は、そこへ俺を呼び入れた。
職員室では、他の生徒の耳に入るおそれがあるからだろう。

「最近、どうだ?部活がないから、のんびりしてるか」

いきなり核心には触れてこない。

「体がなまってるよ。早く来月にならないかなあ、って。来月になったら高等部の練習に参加できるから」
「そうか。お前は体を動かしてないと、調子が狂うのかもしれないな」

そんな前置きはいいから、早く本題に移ればいいのに、と思いながら、窓の外を見た。
銀杏がはらはらと、落ち葉を散らしてそれはきれいだ。
はやく全部散ってしまって、12月になって、またテニスに打ち込めれば、こんな憂鬱な気分も吹き飛ぶだろうに。


「5組の、森さんだけど…」

やっと来たか、と思った。

「しばらく学校に来ていない。もう一週間になる。おまえ、仲が良かったそうだから、何か知らないかと思ってな」
「先週、告白されて、断った。だから、森さんが学校に来なくなったのは、俺のせいだと思う」


「そうか。まあ、お前のせいだとは言えないが…。そういうことなら、時間が解決するのを待つしかないか」
おおよそ察しがついていた内容なのに、そういうことかというように宙を見上げて頭をかいた。


「気を悪くしたらすまないが、森さんにひどいことを言ったりしていないな?」
「わからない。普通に断ったつもりだったけど。でも、期待させちゃったかもしれない。だから、傷ついたんだと思う」

「ああ…」
担任は、難しい顔をして頭をかいた。
今度は芝居ではなく、本気で頭をかいたようだった。


森さんは、いわゆるいいとこのお嬢さんで、学園への寄付金も相当な額しているという噂だった。
おそらくは、森さんが学校へ来なくなったことで、自分と森さんの担任が辛い立場に立たされているのだろう。
そう想像がつくと、なんだか担任に申し訳なくなった。

「先生、ごめん…」

担任は、はっとした様子で、抱えていた頭を上げた。

「おまえが謝ることじゃない。こういうことはしかたないことなんだよ。どうしようもないことなんだ…」



☆☆☆☆



そうして俺は解放された。

担任も、やっぱり、どうしようもないことを経験したんだろうか、と考えた。
今度機会を見つけて尋ねてみよう、そう思った。


それにしても、考えるほどに、悪いのは自分ではないかと思えて気が滅入った。
昨日、森さんと仲の良い女の子たちに呼び出されて、さんざん責め立てられたせいもあった。

あれだけ期待させといて、信じられない、となじられた。
3年の女子全員で無視するかもしれないから、と言われて、ぞっとした。


3年の中で、彼女にするなら、森さんだ。
クラスの連中と、そんな話をしたこともあった。

かわいくて活発な娘で、話をしていても面白かった。
クラスは違ったが、いつしか昼休みごとに廊下で立ち話をするようになった。

休み時間に5組の教室を覗いて声をかけたこともあった。
体育の時間には、窓際の席の彼女に手を振った。

他愛のないことを、メールで報告しあった。


彼女が俺を好きだって、確かに、気が付いていた。


だけど、告白されて、そういうつもりではなかったのだと、逃げ出したくなった。

では、どういうつもりだったのだ、と問われても、よくわからない。


俺は、ただ、女の子とわいわい楽しくやりたかっただけなのだろうか。

粉をかけた、そういうことになるのだろうか。




☆☆☆☆




自分のクラスに戻るため、階段を上った。
いつもは一段抜かしで駆け上がる階段も、今日はやけに長く、2階は遠く感じられた。

重い足は、自然、2組へ向かっていた。


廊下の窓際に、大石の後ろ姿を見つけて近寄った。

肩先で背中をつつくと、振り返って笑顔を見せる。
いつもと同じ大石の反応は、それだけで、ほっとした気分になった。

一緒に話していた男子生徒は、失礼しますと言って立ち去った。
見慣れないが、生徒会の後輩だろうと察しがついた。

「邪魔しちゃったかな?」
「大丈夫、もう話は終わったから。どうしたんだ?」

そう言われてやっと、何も用事がないことに思い当たった。


「…大石、好きな人、いる?」

とっさに、ない頭をふりしぼって考えたのが、この質問だった。
だが、いくらなんでも、唐突すぎた。

大石は、ちょっとびっくりして俺の顔を見返した。

「いるよ」

いつもより、声のトーンを落としていた。
大石は、廊下に背を向けて、窓の外を覗いた。

それはそうだ、大声で主張するような話ではない。
まだ掃除をしている生徒もいて、廊下は人でいっぱいだ。
あんまりなことを聞いてしまったと、また気が滅入った。

「ごめん、急に変なこと聞いて…」
「いいけど、英二は好きな人ができたの?」

「そうじゃないよ。…その逆」
「ああ…」

森さんの話は、既に大石の耳にも入っているようだった。
いたたまれなくなって、2組に寄らないで真っすぐ自分の教室に帰れば良かったと後悔した。


「しかたないよ。別に悪いことをしたわけじゃないんだから、堂々としていればいい」

大石は、担任と同じようなことを言った。
どうして自分と同い年の大石が、そんな風に考えられるのだろうかと思った。

俺は、大石と肩を並べて、窓の外を眺めた。

地面に敷き詰められた銀杏の葉は、午後の陽射しをめいっぱい吸い込んだように暖かい色を湛えていた。

去年、銀杏の木の下で、焼き芋をしたことを思い出した。
部活の日曜練習の後で、落ち葉を集めて。
誰が言い出して、どうやって芋を調達したのかも覚えていなかったが。

あの頃は、ただひたすら毎日が楽しいばかりだった。
無邪気だったと懐かしくなる。
それに比べて今の俺の心は、どんよりと暗く、みじめですらあった。


「俺、ほんとに悪くないのかな」
「悪くない。英二は怒るかもしれないけど、彼女の方が、ほんの少し先に大人になったっていうだけの話だよ」

大石の一言で、俺は怒るどころか納得できたし、ほっとしもした。

「怒らないよ…。俺、どうすればいいのかな」
「英二は何もすることない。彼女の方が、待てるか待てないかの話なんだから」

「待てると思う?」
「そんなの、俺にわかるわけないだろ」

そうだった、森さんの気持ちなんて、どうして大石がわかるというのだ。
いくら混乱しているとはいえ、あんまり自分が馬鹿みたいで情けなかった。

「大石だったら?」
「待つよ。まあ、俺は男だから。女の子にそんな役回りを期待するのは、かわいそうだよ」

「そうだよな。…俺、大石みたいな人と付き合えばいいのかもな」
少し頭を傾けて、隣にいる大石の肩にのせた。

ふざけたわけではなく、自然に口からこぼれ出た言葉と行為だった。

大石は、はっとしたように体を離して顔をそむけた。
そむけた顔の端が、ほんのりと赤かった。
耳たぶは、さらに赤く、染まっていた。

うそ、と思った。


本気にしちゃった?と、冗談めかしてその場は別れたけれど。

いくら鈍感な俺でも、さすがに気がついた。
大石の好きな人というのは、俺のことなのだ、と。

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