●● おいしい人生 --- 1 ●●
「なぞなぞ。ゴムでできたものをつけて、することです。」
「……。」
「ひたすら無言でいたします。」
「……。」
「がんばりすぎると、足腰が痛くなります。」
「……。」
「週末、二人でしよーねぇー。」
英二はときどき、ひどく悪趣味なことを言い出す。
俺の反応を見て、面白がっているのだ。
こういうところ、中学時代からまったく変わっていない。
あのころは、英二のこういうところが、すごく嫌いだったなぁと思い出す。
おいしい人生 1
「大根、よかったら、もらってくださいね。」
「あっ。あれ、大石先生だったんですか…。いただきます。」
ナースステーションの片隅に大根が積まれているのには、気がついていた。
その上に「大根(無農薬)もらって下さい」と書かれた紙が、無造作にセロテープで止められていた。
大石先生は微笑んで、スーパーのビニール袋に大根を入れた。
「2本、いかがです?」
左手の薬指に、指輪が光っている。
「2本は、ちょっと…。」
「ですよねぇ。」
「家庭菜園、やられてるんですか?」
「連れ合いがね。私はノータッチだったんですが、明日、初めて行ってみようと思ってるんです。」
「楽しみですねぇー。」
「ええ。」
社交辞令に、微笑み返された。
まったくもって、詫びれない。
彼が着任する時は、いくらかの期待と希望を持って迎えたのだ。
まさか、若い身空で結婚指輪を光らせて、愛妻弁当を持参するような男とは、思いもせず。
不倫というものに嵌まったこともかつてはあったが、今は昔の話だ。
あやふやなものに賭けるほど、時間のゆとりはない。
そういうわけで、この人は、全くのターゲット圏外。
最近では、そういう幸せそうな人をつかまえては、質問してみる。
幸せになる秘訣があるものなら、教えてほしいのだ。
それくらい、なりふりかまわなくなっている。
「…あの、先生。お帰りの前にすみません。ちょっとだけ、聞いてもよろしいでしょうか?」
「どうぞ。」
「奥様と、結婚しようと思った決め手って、なんでした?」
「…決め手?」
「ええ。ほかの方でなく、奥様を選んだ理由って…。」
「…ほかの方、知らないからなぁ。」
「…え?」
「中学の同級生なんですよ。ほかの人と付き合ったことがあれば、いいとか悪いとか比較のしようもあるんでしょうけど…。」
照れ臭そうに頭を掻いている。
「はぁ…。」
聞くんじゃなかったと、激しく後悔した。
「比較、しちゃうもんですか?やっぱり。」
にっこりと微笑まれてしまった。
「…ええ。しちゃいますね。前の彼とか。友達の彼とか。」
「ふーん。そうなんだ…。」
「あっ。年収とか将来性とかそーゆんじゃなく。愛情の深さとか、ですよっ。」
「…愛情の深さなんて、どうやってくらべるんですか?」
「どっ…。うーん。なんとなく、ですかねぇ。」
私の返事を聞くと、クスクスと笑い出した。
そう言われてみれば、確かに根拠はない。
でも、女の「なんとなく」を、なめてもらっては困る。
反論しようと言葉を探したが、相手の方がひと足はやかった。
「男ってのは、不器用で、愛情をうまくあらわせないんですよ。うちのも、何回も別れようと思ったって言ってます。そんな風に思ってたなんて、私は全然知らなかったんですけどね。長い目で見てやってくださいよ。」
「…そーなんですか。」
「好きって気持ちを上手にあらわす方法を、保健体育の授業ででも、教えてくれればよかったのにって思いますよ。男子だけ集めてね。」
最後は彼なりの冗談だったのか、笑いながら、お先にと部屋を出て行った。
ビニール袋の中の、大根を取り出して眺めた。
スーパーや八百屋で売っているものと比較しても、遜色はない。
しかも、無農薬なのだ。
大石先生の奥さんは、おそらくは、旦那の健康のためにと、野菜を作っているのだろう。
二人暮らしで食べ切れないほどに実ったそれを、先生はうれしそうに配っている。
私と誰かとで、果たしてそうした未来が描けるだろうか。
相手の愛情に不安を感じても、待つことができるだろうか。
与えられたい。
それは、女として当然の欲求だ。
与える、よりも。
神様は、どうして男というものを、そんな風にやっかいに作ったのだろう。
どうして男は、素直に自分の感情を表すことができないんだろう。
どうして女は、素直に男を信じて、待つことができないんだろう。
待つことが、できていたら。
与えることが、できていたら。
過去の人と別れることもなかっただろうか。
ああ、いやな夜になりそうだ。
夜中に、考え事をしてはいけないのに。
そう思いながら、立ち上がって、カップにお湯を注いだ。
すでに何度も飲んだティーバッグからは、申し訳程度の色しか染み出して来ない。
味のしない、紅茶。
自分の人生までも、味気ないように思えてきて、ティーバッグを捨てた。
新しいティーバッグを箱から取り出しながら、思った。
私も、野菜、作ってみようかな…。
あれ?
夜中だからかな、こんなこと考えるの…。
でも、「うちの畑で取れたんです」って言いながら、配ってみたい。
だって、そうしているときの私は、きっと笑顔にちがいない。
そう、疑いもなく思えるから…。