罹患、発症すれば、たちどころに発熱、頭痛、関節痛を覚え、その後、猫耳、尾が生える…
今年の新型である「猫型インフルエンザ」は、相変わらず猛威を振るっていた。
青春学園テニス部の大型ルーキーと呼び名も高い越前リョーマさえも、その前には無力に等しかった。
☆☆☆☆
「少々、おまちくださ〜い」
英二は浮かれた調子で、無糖ヨーグルトのパックをまるまるガラスの器にあけた。
リョーマの猫型インフルエンザ発症により、青春学園は一時休校となった。
猫型インフル免疫保持者である英二と大石は、看病とうそぶき越前宅に上がりこんでいた。
リョーマは、和食党であり、乳製品一般に興味はない。
しかしそんな普段の嗜好とは裏腹に、胃の奥底からこみ上げてくる何かがある。
「にゃおーーーーん」(はやくーーーーっ)
「お!越前がお待ちかねだぞ!」
と、こちらも浮かれた調子のテニス部副部長。
ちくしょう、なんなのこの二人。
とは思ってももはや人語を操れないリョーマである。
それよりなにより、リョーマはヨーグルトが食べたかった。
猫の本能が乳脂肪分を要求しているのである。
「はい、おまたせ〜!」
英二がガラスの器を床に置くがはやいか、リョーマは頭を突っ込むようにして食べ始めた。
「あは。すごい食欲〜」
「俺たちも、アイス食べようか」
「うん」
仲むつまじい、という形容がぴったりの青学ゴールデンペアである。
「あ、コーンと棒のなんだ」
英二がコンビニの袋を覗きこんだ。
「うん、カップのほうがよかったかな?」
「ううん。どっちにしよう?大石どっち食べたい〜?」
アイスにはしゃぐ無邪気な英二の声が、リョーマの耳に届く。
傍らの大石は、そんな英二の表情を見て頬が緩みっぱなしなのだろう。
と思いつつ、リョーマは器の底を舐め上げ、ヨーグルトを最後の最後までさらおうという意気込みだった。
「おおいし、むいて〜!」
英二の声に、リョーマはぎょっとして器から顔を上げた。
「あ、ああ、ちょっと待って…」
大石は、受け取ったコーンアイスの包み紙を上から丁寧に剥き始めた。
心なしか頬が赤らんでいる。
そりゃあそうだろう。
とリョーマは思う。
英二は、他人の気持ちに敏感なのか鈍感なのかわからないところがある。
少なくとも、ごく身近な人間や自分の気持ちについては、鈍感であることは確かだろう。
そのため思わせぶりとも思える言動が多くて、傍で見ている方が冷や冷やすることも珍しくない。
青学に入学したての頃、リョーマはてっきり二人はカップルであると思っていた。
聞いたよりも日本は開放的だとさえ思っていたのである。
すぐに誤解とわかったが、さらにしばらくすると、自分の感じ方はあながち間違いでもないと気がついた。
少なくとも、大石の方は自覚的であるかもしれないと。
さっきまではうざい先輩二人と思っていたリョーマだが、大石に少々同情した。
「おいしい♪」
英二は、早速アイスをひと舐めした。
「そりゃ、よかった」
リョーマは、何気なさを装い二人に目を遣る。
大石は、自分の棒アイスの袋に手をかける。
英二は、その間にコーンアイスの周辺をぐるりと食べて、中のアイスクリームを舌でさらい始めた。
お堅い副部長でも、あらぬ想像なんてするもんだろうか。
リョーマは少なからず興味があった。
猫のたしなみである食後の身づくろいをしつつ、ちらりちらりと視線を遣る。
大石はアイスを口元に持って行きながら、英二を見遣った。
視線に気付いた英二は、にっこりと笑いながら、ぺろんとアイスをひと舐め。
あーあ。
と、リョーマは思った。
「あっ」
大石のアイスは手を離れ、万有引力の法則に基づき股間へと落下した。
溶け始めたアイスがついて、黒い制服のステキな部分が白く汚れている。
「にゃーにゃにゃ…」(さいあく…)
「あは〜。なんかこれ、エッチじゃない〜?」
「な、なにがエッチだよ…」
大石は平静を装い立ち上がり、ティッシュボックスからシュッシュと2、3枚のティッシュを引き抜いた。
とはいえ、表情はこわばり、耳まで真っ赤にしている。
「ほら〜」
英二はしつこく、ティッシュを手に仁王立ちの大石を指差してクククと笑う。
「なあ?おチビもそう思うだろ〜?」
ちょっと、ちょっと!
話ふらないでよ〜!!
リョーマは焦る内心とは裏腹に、ぷいと横を向いて、あくびをひとつすると猫がするように丸くなった。
「なんだよ〜。つまんないの」
英二が頬を膨らませ不満を表明する。
冗談じゃない。
いちゃいちゃしたかったら、他でやってくれ。
病身の後輩を巻き込むなっつーの。
リョーマは寝たふりを決め込み、二人の話に耳をそば立てた。
「越前は、ホントに猫になったみたいだな」
「元から猫っぽかったからね」
「それより、床で寝たりしちゃあダメだろう」
「だねー。せめて毛布掛けようか」
英二は立ち上がり、ベッドの上から毛布を剥いだ。
「ねえねえ、大石は、飼うなら猫?犬?どっち?」
股間のアイスをティッシュで拭き取っていた大石が、顔をあげた。
「え?付き合うなら、猫みたいな子か犬みたいな子か、って?」
ゴホッッと、リョーマは噴き出したが、慌ててクシャミをひとつしてタヌキ寝入りを続けた。
「ちょっと〜!大石、全然俺の話聞いてないんだけど〜!」
英二は騒いで、丸くなったリョーマの背中にのしかかった。
そして、脇から手を入れて仰向けに膝の上にリョーマを抱き上げた。
あああ、もうどうにでもして。
と、リョーマは思った。
何がどうして、自分の部屋でこんなバカップルのやり取りが行われているのか、自らの運命を呪うしかないと思うのだった。
「英二!ちょっとそのままでいて!」
大石が、慌てた様子でカバンの中をあさり、携帯電話を取り出した。
「撮んの〜?」
いっそうはしゃぐ英二。
「にゃにゃにゃにゃにゃ、にゃんにゃー!!」(それだけは、かんべんー!)
リョーマは英二の腕から抜け出ようともがく。
英二はがしっと両脇から腕でリョーマを羽交い絞めにする。
決死の攻防を止めたのは大石の一言だった。
「そう、手塚に頼まれたんだ」
てづか…?
って、ぶちょう?
部長、って、手塚国光?
呆けるリョーマになり変わり、英二が尋ねた。
「にゃんで手塚がー?」
「さあ?越前が心配なんだろ?」
俺のことが心配?
部長が?
俺を心配してるって?
あの鉄面皮が?
「変なのー」
英二がつぶやき、リョーマもその通りだと思った。
英二はリョーマをきつく拘束していた手を緩めたが、リョーマはもはや脱走しようという気分ではなかった。
「…まさか、おチビの写真を悪いオトナに売りつけようとか?」
「手塚がそんなこと考えるわけないだろ」
「そだねー」
部長が自分のことを心配して写メを大石に頼んだとか、どう考えてもちょっと有り得ない、とリョーマは思った。
しかしながら、それが本当だとすると胸の奥がなんとなくほっこりする…気がしたのも、また、確かだった。
これは、この気分って…?
この気分に名前をつけるとしたら…?
としたら…?
と、考えてしまうリョーマなのだった。
☆☆☆☆
手塚宅である。
「来たぞ」
携帯電話が、手塚の手の中でぶるぶると震えている。
「おお!でかした、大石!」
興奮気味のテニス部平部員、乾貞治。
平部員とは世を忍ぶ仮の姿、ともっぱらの評判でもある。
届いたメールは果たして大石からのものであった。
添付された画像は2枚。
黒くて大きな猫耳をつけた越前リョーマ。
驚いたような、放心したような表情である。
もう1枚は、リョーマと、リョーマを後ろから抱き抱えた英二の、二人の顔が写っていた。
「英二、嬉々としてるな…」
乾が苦笑しつつつぶやく。
「…にしても、上物だ!」
乾は、我が意を得たりという様子で膝を打った。
「上物?」
「ああ、このスタンダードかつクラシックなパジャマ姿がな。病人コスプレっぽいだろう?」
「悪いが、おまえの話は時々全く理解しかねる」
手塚は首をわずかに傾け、窓の外を見遣る。
「諸手を挙げて賛成したというわけではない」
言いながら、ぐるりと首を乾の方に向ける。
「それはそうだ。俺だって最善の方法とは考えていないよ、もちろん」
乾は先ほどまでの興奮を抑えて答えた。
手塚は、再び無言で窓の外を見遣る。
「とはいえ、これが1位になれば、だ」
「全国優勝すれば、OBからの寄付金が倍増するのは確実だ」
「…全国優勝の確率は、手塚もわかっているはずだろう?」
乾の脳裏には、「猫耳コンテスト」1位の優勝賞金30万円が浮かんでいる。
英二の猫型インフル発症の際に思いついた、ある意味変則技である。
いくら伝統のアナログ式練習法を誇る青学テニス部とはいえ、他所様並みにテニスマシンのひとつくらいは欲しい。
自分たちが使いたいのも確かだが、それよりも乾が気にかけているのは後輩たちである。
もちろん、乾の心づもりを手塚は理解しているからこそ、渋々承知したのである。
一方、ただ今手塚の脳裏に浮かんでいるのは、先ほど見た画像の猫耳リョーマだった。
乾が言う上物というのはわからないが、かわいかったのは間違いない。
いつもの生意気なまなざしは影を潜め、どこか心細いような表情をしていた。
普段から、ああいう顔をしていればかわいいものを。
そう思うと、手塚の口元には自然と笑みがこぼれるのだった。
猫型インフル・リターンズ
end
あららまさかの塚リョ風味ですみません…
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