昨日来た道
1
「大石先輩、なんとかしてくださいよ」
「…ッス」
二人の後輩に放課後の教室まで押しかけられて、俺は弱り切っていた。
桃城と海堂の言い分はこうだ。
引退した英二が、毎日のように部室に現れては、お菓子や雑誌を持ち込んでくつろいでいる。
下級生の士気にも影響しかねないと、現部長・副部長の二人は困っている。
その話は、すでに先週、現部長である海堂から聞いていた。
もちろん、驚いてすぐに英二に注意をした、つもりだった。
だが、一向に改まった気配はない、というのである。
このままでは顧問の指導を仰ぐ必要が出てくるが、基本的に自主自律が青学テニス部の精神である。
この程度の問題ならば、部員間で解決するのが通例だ。
確かに、自分の注意の仕方はちょっと、甘かった、といえるかもしれない。
「だってさみしいんだもん。部活がないとさ、なんか、俺の居場所がどこにもないっていうか」
英二がほんとにさみしそうにそう言ったものだから。
つい、叱る口調が甘くなった。
「俺たちには、手塚先輩や大石先輩みたいな威厳つーか、ないんすよ。だから大したことないようなことでも、大勢に影響するっていうか」
「…ッス」
若干興奮気味でしゃべりまくる桃城の隣で、海堂はただ真剣に頷いている。
「英二先輩を甘やかしたい、先輩の気持ちもわからないではないですけど。こればっかりは」
そう言った桃城のわき腹を、泡を食った様子で海堂が肘でつついた。
「あ、すいません。今の一言は余計でした」
「…俺、英二を甘やかしてる、ように見える?」
「はあ、まあ…」
言いずらそうに、桃城が頭を掻く。
「なんつーか。現役の時は、少なくとも、公私混同はなかったかなと」
言いずらそうだった割には、出てきた言葉は辛辣だった。
かあっと体が熱くなり、同時に顔から血の気が引いた。
「勝手なこと言ってすみませんが、大石先輩が頼りなんです。よろしくお願いします!」
二人は深く礼をすると、踵を返して走り去った。
残された俺はただ、呆然と立ち尽くすばかりだった。
後輩に自分の気持ちを見透かされたこと。
引退したとはいえ、部活に私情を持ち込んでいたこと。
何もかもが自分の思いとは逆の方向に行っているようで、目眩がした。
混乱する頭を整理しなければと、ともかくも学校を離れたく校門を出た。
英二に注意をするのは明日でもいい。
静かな場所で、気持ちを落ち着けたい。
何をどうすればいいのか、ノートにでも書き出して、そうして、一から考えよう。
そう思って、家路へとついた。
はずだったが、気がつくと、俺は、児童公園のブランコに腰かけて地面を見つめていた。
英二に対して、世の中ではちょっとおかしいと言われるような感情を抱いていた。
それに気がついたのは、そう昔のことではない。
ほんのちょっと前までは、それが友情だと信じ切っていたのだ。
俺たち二人の間には、長いことかけて育てた友情があって。
あったはずなのだ。
だが、俺は、それを一方的に汚してしまった。
喉に何かつまっているように苦しくて、腹の下の方からは胃液が逆流して突き上げてくる。
気のせいか、座っているのに頭がぐらぐらして、地面がひっくり返りそうだ。
「おおいし!」
声とともに背中に抱きついて来たのは、その悩みの張本人、英二その人だった。
俺は驚いて、言葉もなかった。
「さがしたぞ」
探される理由など、思い至らないのだ。
「…どうしたの?」
声を振り絞って、やっと出てきたのがこの一言だった。
「ごめんな、俺のせいで、桃たちに何か言われたろ?」
背中に抱きつかれたままで、英二の吐息が俺の首筋にかかる。
「もう部室行かないから。もうしません。ごめんね」
英二の柔らかい髪が、後頭部やら耳やらに当たって、くすぐったい。
「もうしないならいいけど…」
桃城たちは、結局、英二と直接話して解決したらしい。
だったら、俺への話は何だったのか。
「大石がさ、桃と薫ちゃんと話してるの見たから、何だったの、って桃たちに聞いたわけ」
しがみつこうとする英二の両腕を引きはがしながら、なるほどそういうことだったかと思った。
英二は中腰の体勢が辛いらしく、児童公園の小さなブランコに無理やり自分のお尻を押し込んで来た。
二人で背中を合わせるような格好で、狭いブランコに座った。
「桃たちもさ、大石を頼らないで、最初から俺に言えっつーの」
いや、さんざん英二に注意したが聞いてもらえなかったから、俺にお鉢が回ってきたのだが。
そう思ったが、背中越しに聞こえる声は全く屈託ない。
自分が悪いなどとは、露ほども思っていそうになかった。
反省、というよりも、何か面白いことを見つけた嬉しさに、はずんでいるような声。
いやな予感が走った。
まさか、桃城のやつ、俺の気持ちを英二に伝えたり、ほのめかしたり、してはいないだろうな…。
いくら桃城といえども、そこまでデリカシーのない男ではないはずだ。
それに、隣に海堂もいたのだから、きっと止めてくれた、はずだ…。
その淡い期待は、もろくも崩れ去った。