じゆうにへんかん20題

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  1 いちょう  

それは、参考書の間から舞い落ちた。

…金色のちいさき鳥のかたち。


「一番きれいなのを、大石にあげる」

英二がそう言って、銀杏の葉を挟んだのは、ちょうど1年前のことだ。

あれから時が経ち、銀杏はまた黄色く色付いた。

…金色のちいさき鳥のかたち。


この気持ちは、胸にしっかりしまってある。
だけど、前触れなく速く打ち始める鼓動や、不意に沸き上がる衝動とか。
自分の体さえも、思い通りにできなかった。
俺は、恋というものにまだ不慣れで、戸惑っている。

銀杏の葉の軸を人差し指と親指とで摘み、くるくると回した。
ぼんやり眺めていると、本当に鳥のかたちのように見えてきた。

…金色のちいさき鳥のかたち。


「鳥のかたちになんか見えないよ」

そう言ったら、英二はおおげさなため息をついて反論した。

「大石は恋ができないね」
「…なんだよそれ」
「ロマンチックじゃないから」


英二の予言は当たらずに、俺は恋を知ったのだ。

…金色のちいさき鳥のかたち。

金色の鳥は、くちびるに当てるとひんやりとして熱を奪っていった。



☆☆☆☆



勉強する気分はすっかり失せてしまった。

コーヒーでも飲もうかと部屋のドアを開けると、母の笑い声が聞こえた。
来客のようだと思わず耳を澄ますと、伯父の声が飛び込んできた。

「…気持ちの問題なんでしょうね。」
「きっとそうなのねえ。」

伯父は、昨年の夏に再婚した。
奥さんがふた回り近くも年下なのだということは、結婚式の日に知った。
親戚の男たちのやっかみ半分の話を聞きながら、そんなに若い奥さんでは気持ちが休まることがないだろうと、俺も一人前にそんなことを思ったのだった。

「…あいつを守ってやれるのは自分だけなんだって…端から見れば気負いにしか見えないでしょうが…はりあいになっていたりするんですよ。」
「まあ…ごちそうさまでした。それじゃ、うちのお兄ちゃんのも、そのうち治るのかしら。」

なぜいきなり自分の話になるのだと、勢い耳を傾けた。

「治りますよ。なにしろ検査したって原因は見つからない。ここの問題でしかないんですから。」
「でしょう?うちの人ったら、離乳食のやり方がいけなかったんじゃないかなんて言うのよ。悔しいったらないわ。お兄ちゃんは小さい頃はお腹が丈夫で…」

母はそこまで話すとクスクスと笑い出した。

「おねしょくらいしか問題はなかったのに…」
「そうだった。私もぎんなんを拾って届けたっけね…」
「来る日も来る日も、ぎんなんの炒ったのを食べさせて…」


なるほど、二人は心と胃腸との関係について話していたというわけだ。

それにしても、おねしょとぎんなんの記憶はそれぞれにあったものの、両者は全く結び付いていなかった。
ぎんなんを食べるとやたらに褒められるので喜んで食べているうちに、好物の一つになってしまった。
…あれは、俺のおねしょを治そうという目的だったのか。


「ぎんなん、きらい。小さい頃、いっぱい食べさせられたから…」

英二がそう言っていたのを思い出して、思わず口許がほころんだ。

明日、学校へ行くのが楽しみになった。







[いちょう−銀杏−胃腸]

end
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