「ただいま〜。大石連れて来たよ」
玄関先で英二が家の奥に向かって呼び掛ける。
「いらっしゃい。さあ上がって上がって」
エプロンで手を拭き拭き、英二の祖母が玄関先に出て来た。
大石は丁寧に挨拶はしたものの、なんとなく目が合わせずらく、伏し目がちになってしまう。
「英二、何か飲み物でも持って行って。茶碗蒸しがもうちょっとかかるから」
「うん。大石、何飲む〜?」
二階の部屋に行くのかと、大石は緊張し、返事もそぞろになった。
英二は次兄と同室だが、アルバイトに勤しんでいる彼はいつも帰りが遅いと聞いている。
この雰囲気で部屋に二人きりで、何を話題にすればいいというのだ。
「ねえ、手伝ってよ」
英二はお盆にグラスを二つ載せて左手に持ち、右手で握ったペットボトルのコーラを差し出した。
「あ、ごめん」
大石はペットボトルを受け取ると、先に立って階段を上った。
部屋に入ってからのことを考えると、目眩がしそうで思わず手すりに掴まった。
階段を上り切ったところで、手すりに掴まった大石の右手に、英二の右手がすっと重なった。
「え…?」
大石は、英二の方へと振り返った。
「あ…」
自分の行動に驚いたように、英二は重ねた手を離す。
表情がない。
いつもくるくると好奇心いっぱいの子供っぽい瞳が、今は何も映していないようだった。
大石が戸惑っていると、英二は前に立って、自室のドアを開けた。
入って正面の勉強机の上に、グラスの入った盆を置いて、口を開いた。
「大石はさ…」
英二は大石に背を向けたままだ。
秋も終わりとあり、西向きの英二の部屋でもすでに薄暗かった。
「…俺とつきあいたいの?」
「そりゃあ…」
英二はどんな表情で、こんな質問をしているのだろうか。
緊張で喉が渇き、後の言葉が続かない。
「バカだよね…」
「…バカでもいいよ」
薄暗い部屋の中に、墨色の制服を着た英二の後姿が佇んでいる。
夕闇に沈んで消え入りそうだ。
さっきの、表情を失くしたような英二の顔が思い出される。
大石の胸はぎゅっと引き絞られたようになった。
大石は、一歩進んで部屋に足を踏み入れた。
ペットボトルを机の上に置き、英二の後ろに立った。
おそるおそる、英二の右手を掴む。
と同時にぐいと引き寄せると、英二はよろけて大石の胸の中に収まった。
抵抗もせずに、大石に身を任せている。
大石の心臓は暴れるように激しく打っている。
鼓動は英二にも伝わっているだろう。
「…俺も、バカかもよ…」
小さな声で英二がつぶやいた。
かああと大石の体温が一気に上がる。
何も言えずにただ、ぎゅうと英二を抱きしめた。
「そこ、ドア閉めて…」
大石は、背中に一筋の冷や汗をかいて、稀にみるほどの素早い動きでドアを閉めた。
部屋のドアを開けっ放しで、以上の一部始終を披露してしまったのである。
英二の兄姉が帰宅しなかったのは、まったくもって幸いだった。
「大石君、ご飯のおかわりは!?」
「あ、はい。いただきます」
夕食のメインは、英二の推測通りすき焼きであった。
大石のうつわが空くや、英二の祖母が大盛りによそってくれる。
鉄板・鉄鍋の類を見ると取り仕切りたくなる性分も、さすがに今日は発揮できない。
「あら、卵が少なくなってきたわね。英二、冷蔵庫から取って来て」
「はーい」
大石は、英二の返事につられて、台所へと消える姿を目で追う。
ついさっき、ドアを閉めた薄暗い部屋の中で、ちゅーをした。
通算18回目のちゅーは、長かった。
英二のくちびるはやわらかかった。
唾液と吐息を交わし合って、ぬめぬめのくちびるを貪り合った。
息継ぎについた英二のため息は、甘くせつなく響いた。
いつまでも終わらせたくなくて、いつまでもしていたかった。
あれはもう、ちゅーなんてかわいい代物じゃなかったなあ、と大石は思う。
「あら、大石君。顔、真っ赤よ。暑いのね、窓開けましょう」
「あ、すみません…!」
祖母が立ち上がり、入れ替わるように英二が席についた。
「うつわ、貸して」
英二は、縁に卵をかちんと当てて、うつわの中に割り入れてくれた。
「はい、どうぞ」
「ありがとう…」
英二は、今日の食卓では言葉少なであった。
さっきのことが恥ずかしいのか、あるいは家族に対して気が咎めているのかと思う。
学生服の中に手を入れて、シャツの上から英二の体をなぞった。
英二はかすれた声で「だめ」と言った。
大石は慌てて手を引っ込めた。
すると、英二は、「まだ」と消え入りそうな声で続けた。
思わず表情を窺うと、英二はまぶたを伏せていた。
外の薄明かりを受けて、まつげの影が濃くおりていた。
それから、英二はゆっくりまぶたを開いた。
うるんだ瞳で自分を見つめてから、まばたきを一度した。
いつもの、くるくると瞳を転がすような天真爛漫なまばたきではなかった。
それにあおられて、大石は一層激しく英二のくちびるを貪ったのだ…
「まだ」ということは「今は」だめだということだ、「いつか」お許しが出るということだ。
お許しが出たら、出たら…
…出たら!?
窓から秋の夜風が入って来て、大石の頬を撫でた。
しかし、体はますますほてる一方である。
「失礼します」
英二の祖母に断って、大石は学生服を脱いでシャツの袖をめくり上げた。
☆☆☆☆
「不二、おまえの言ったとおりだった」
「…え?」
再び、放課後の印刷室である。
業者のメンテナンスが入り、印刷機は快調そのものである。
「大石は菊丸とつきあっていないそうだ」
「…もしかして、大石本人に聞いたのかい?」
「ああ、そうだが」
「…敬服するよ」
「…まずかったろうか?」
「あ、英二。…と大石」
不二が窓の外を覗くと、手塚も身を乗り出した。
二人並んで仲良くご帰宅である。
見つめ合ったり、目を逸らしてみたり。
肩が触れるか触れないかの距離感。
なのに、言葉少なな様子であるのが、いつもの二人らしくない。
これでもかと発射されるラブラブオーラは、近づくのもはばかられるようだ。
「…英二、よかったね」
親友の幸せに同調し、不二はぐすんと涙ぐむ。
「あれで、本当につきあっていないのか?」
首をひねる手塚。
「また、直接聞いてみればいいじゃないか?」
けしかける不二。
「そうしてみよう」
あくまで素直なのが手塚のいいところだと不二は思う。
手塚が最近色気づいて来たことは、不二にとっては少々不満である。
いつまでも天然記念物並みに浮世離れしていてほしい、と願うばかりなのである。
「大石は忙しそうだから、僕、明日も手伝いに来ようか?」
「ああ、助かる」
また印刷機の調子が悪くなって、紙詰まりを取り除く手塚の雄姿を見たいと思う不二なのであった。
「ちゅーがくせい日記」 end
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