チョコレートデイズ
change the world 3
「…で?」
「でって。それでちょっとケンカしちゃって…」
Aくんは俺の話を聞き終わって、というか、話の途中から、きわめて不機嫌そうな表情になっていた。
俺はそれに気が付いていたが、とにかく話を聞いてもらいたく、頓着なく続けたわけだ。
「つーか、おまえら早くつきあっちゃえよ」
「いや、それは…」
「なんで?嫌いな男に体を押し付けてくるコなんていないだろ」
「そのコは、そういうコっていうか、みんなにするんだよ」
「それってヤバイんじゃないの」
「やばい?」
「それこそつかまえといた方がいいだろ。そういうコって彼氏すぐできそうじゃん」
「ああ…」
彼氏、という心配は不要なのだ、なんせ男なんだから。
彼女、のほうは、もちろん心配ではあるが、俺には文句の言いようのないことだ。
「ふつうはさ」
Aくんは遠い目をして語り出す。
「自分のものです、って言いたいもんじゃないの。マーキングっての?」
「マーキングか…。はは」
「はは、じゃねえだろ。びびってんの?」
Aくんの言うとおりで。
俺はびびってる。
こわいんだ。
嫌われるのがこわい。
避けられるのがこわい。
会えなくなるのがこわい。
当然だろう?
だったら、今のままでいいじゃないか。
「昨日は、ごめん。また相談のってね」
英二から来た、短いメールの文面を、何度も眺めた。
また、って。
昨日は本題に入る前にケンカしてしまったのだけれど。
ケンカといったって、こちらももう怒ってはいやしないし、英二だってこの通りだ。
普通に仲直りして、また友達としてやっていけばいいだけの話だ。
「あれは、英二だからしたんだ」
そう一言、返信すれば。
ほんの一言。
一言で、世界が変わってしまうのだ。
マーキングだって?
犬や猫じゃあるまいし。
…俺だって、本当は言いたい。
英二は、俺のだ、って。
他の奴には過剰スキンシップはよせって、言ってみたい。
言ってみたいよ。
☆☆☆☆
それから、1か月後。
あの後、結局俺は、ありきたりの謝りのメールを打った。
俺たちは普通に仲直りして、今も友達同士だ。
期末考査前の1週間、青学は部活動禁止になる。
英二からメールが来て、改めて、例のドーナツ屋でミーティング。
夏服の彼にときめいて、友達同士なのになあ、と俺はひそかにため息をつく。
夏場は困るのである。
彼の対人距離が短いことに、問題がある。
開襟シャツの襟元から覗く鎖骨に、つい目が行って落ち着かない。
しかも、どうやらシャツの下は何も着ていないようなのだ。
薄い素材の上から、素肌が透けて見える。
首元までのすっかり日に焼けた素肌と、襟元からちらちらと見える白い素肌のコントラスト。
覗いているわけではないのに、覗いているような気分で、なんとなくいたたまれない。
Tシャツくらい着ろ、と俺が母親ならばどやしつけるのに。
半袖のシャツからは、程よく筋肉のついた腕が伸びている。
初夏の陽射しを吸い込んだ、小麦色が眩しかった。
一方、俺の両腕は、春からこっち、なまっちろいままである。
「あ。チョコついてる」
英二が、俺の口元を指さした。
「どっち?」
英二は問いには答えず、ついと指を伸ばして俺の口元についたチョコレートを拭った。
俺は自分の顔が熱くなるのを自覚して、思わず頬に手を当てた。
「これ、やられると恥ずかしいんだぜ?」
英二はそう言って、にひひと笑った。
「大石、顔真っ赤だ」
指摘されて、額に変な汗まで浮かんだ。
「ちょっとは反省しろよ」
「ごめん…。でっでも!」
「ん?」
「誰にでも、するわけじゃない。そんな、するわけないだろ」
「俺だってそうだよ。当たり前だろ。ばーか」
そっけない口ぶり。
気まずそうに顔を背けた頬が、うす桃色に染まっている。
え。
いまなんて?
えー!?
…コペルニクス的転回、と乾だったら形容したであろうか。
☆☆☆☆
「いいなあ。俺もほしい!スキンシップ大好きなカノジョ!」
Aくんは、開口一番そう言ったけれど。
そういうことになって意識したのか、あれほど過剰だった英二のスキンシップは、ぱたりと止んでしまった。
その報告を聞いて、Aくんは、そううまくはいかないものかと神妙な顔つきになった。
Aくんの反応は面白かったが、この結果は笑うに笑えず、泣くに泣けない。
とはいえ、空が回っていると思っていたら、地面が回っていたのである。
それくらいの変動は、いたしかたない。
と、自分を納得させている。
そういうわけで、今は、なんとかして手をつなぐ、というのが第1目標だったりする。
「ああーベタベタしたい」
Aくんは、空を仰いで訴える。
「エッチをしたいってんじゃないんだよ、したいけど」
「うん」
まったくだ。
こうなったというのに、というか、こうなったら途端にベタベタできなくなったのである。
お預け状態、と言ってもいいだろう。
「それよりさー、ベタベタっての、してーなあ」
「だよなあ…。あ、それからさ、彼女じゃないんだよな…」
「は?」
今度は、俺が空を見上げた。
降りしきる蝉の声。
チョコレートは、少々くど過ぎる季節になりつつあった。
end
最後まで読んでくださりありがとうございました!!