月なき御空に

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つきなき みそら

きらめくひかり

ああ そのほしかげ

きぼうのすがた…


月がない夜空って、さみしくないのかな。

ほんとうに、そこに、希望が見えるのかな…。



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8月最後の土曜日に、青学テニス部のOB総会があった。

試合と懇親会とで、OB間の親交を深めるというもので、毎年、この時期に行われている。


その時に、高等部の生徒の指導を手伝わないかと、大和先輩に声をかけられた。

すでに昨年から、乾が手伝っているというのは、聞いていた。
俺も大学に慣れたら、と思っていたので、二つ返事でOKした。


教員になったら、部活の指導は若手に回ってくる。
その時のためにも、指導者としての実践を積む場が与えられるのは、ありがたいことだった。


そうしたら、横にいた桃城が、自分も手伝いたいと言い出した。
まぁ、いいけど、そんなに暇だったっけ、と不思議に思った。

OB総会は、そりゃ、毎回盛況だけど、実際に部活を手伝っているOBは、みんなよほどの世話好きか、物好きだ。
それぞれ、自分の生活が忙しいのだから。

ともかく、そんなわけで、9月の頭から、土曜日の練習に顔を出すことにした。
桃城も一緒だった。



9月最後の土曜日、練習が終わると、うちで飲もうと桃城が誘ってきた。
他の先輩たちも来るのかと思ったら、結局乾と俺と、三人だけだった。

1時間程したところで、乾の携帯電話が鳴った。
彼は廊下に出て、30分程話し込んだと思ったら、結局謝りながら帰って行った。
ものすごく怪しい、と思ったが、桃城は、それには関心がないようだった。

乾が帰ってからも、桃城は飲み続けていた。
俺は禁酒していたので、盛り上がる気分でもなく、すっかり飽きてしまっていた。


そろそろ帰りたい、と思って、腕時計を見た。
すると、彼は何を思ったか、俺の手首を掴んで引き寄せると、キスしようとした。

「ちょっ…酒臭い!離せよっ。」
思い切り、睨んでやったら。

「…じゃ、触らせてくださいよ。この間、付き合ってあげたんだから、そのくらいいいですよね。」
なんて、言いやがった。

そして、体格差にものをいわせて、俺を組み敷いた。


…この酔っ払いめ…。
まぁしかたないか。
これで、貸し借りなしだ。

そう思って、体を預けた。

6月に二人で飲んだ時、俺は酔い潰れて、彼を誘ってしまっていた。
それに付き合ってくれたわけだから。



彼は、俺の首筋と、鎖骨にくちづけながら、シャツの上から胸を触ってきた。

こうされるのは好きだった。
服の布地に擦られて、直接触れられるより気持ちよかったりする。

シャツのボタンを外されて、胸があらわになった。
手の平と、指と、舌で、丹念に愛撫された。

ふざけてるんじゃ、ないらしいな…。

だけど、全く、気持ち良くならなかった。
何が違うんだろう、と思った。
もちろん、俺が相手を好きかどうか、というのは大きいだろう。

彼は、ハーフパンツのウェストをずらすと、腰骨にくちづけて舐め上げた。

もしかして、このまま、パンツまで脱がすつもりかなぁ…。

桃のやつ、完全ノーマルだと思ってたのに。
彼女となにかあったのかな…。
だいたい、土曜に高等部の部活を手伝うって言い出した時点で、ちょっとおかしいよな。
別れたとか?
さみしいんだろうか。


彼は、ハーフパンツの裾から手を入れてきて、腿の内側を撫で始めた。

ああ、そうだ。
指先から、くちびるから、舌の先から感じる、熱のような…、電気のような…、あれがないんだ…。

大石の指の熱さを思い出すと、内腿がひくついて、からだがビクリと跳ねてしまった。

感じたと思われた…、そう思って薄く瞼を開いて彼を見た。


「先輩のからだ、きれいだよ…。さわるだけじゃ、がまんできない…。」

え。
どこまでしようと思ってるわけ!?
まずいな…。


「先輩がいけないんだ。そんなふうに、いろっぽいから。ねえ、もっと正直に、反応してくださいよ…。」

よくしゃべるな…、と思った。

大石は、行為のとき、あまり話さない。

俺だって、浮ついた言葉だったら、別に、いらない。
からだに触れる部分から伝わってくる熱さの方が、よっぽど真摯で誠実だ。

だから、行為の時に、皮膚の感覚に集中したいって思う。
大石は、いつの頃からか、部屋を暗くしてくれるようになった。
その方が、俺が感じるんだって、彼はわかってる。


そんなことを考えていたら、彼に抱かれたくてたまらなくなってしまった。
…おーいし、おーいし…。
そしたら、体の奥の方が、ずきんとうずいたから、思わず、腰をよじった。
ため息が漏れた。



薄く瞼を開いて桃城を見た。
腰をよじってよがった俺を、欲望に眩んだ瞳で見つめていた。
目でもって、犯されてる、と思った。


彼は、瞬く間に、俺のパンツを脱がせてしまった。
そして、たかまりつつあるそれを、舌の先で煽り始めた。
手慣れたものだった。

桃のやつ、男と経験あるんだ。
それも、一度や二度じゃない。
相手は誰だろう。


…おチビ、かな、やっぱり…。
ちょっと疑いたくなるくらい、二人が親密に見えた時期があったから。

とすると、きっと桃たちは中等部の頃にはもう、経験していたのだ。

マセガキめー…。
まぁ、俺も中二の終わりにはセックスの真似ごとくらいはしていたけど。
でも、相手は女のコだった。



あの歳で、男とするってのは、どうだろう。
俺だったら、いくら好きでも、好きだからこそ、心のバランスを取る自信がない。

遊びだったらともかく、好きな者同士でセックスすれば、互いの心の問題を避けて通ることはできない。
赦し合って、譲り合って、待って、与えて、感謝して、謝って…。

毎日が、こうした、ささやかだけれども濃密な、感情のやり取りの繰り返しだ。
好きな相手だから、できるのであって、正直、楽なことではない。


男同士だと、下手なプライドが邪魔をして、男女間以上に心理的な抵抗がある。
相手か自分かどちらかに、犠牲になる覚悟がなければ、必ず来る危機を乗り越えることはできないだろう。


精神的に未成熟な者が二人、男同士という不安な関係に立って、お互いの心を求め合えばどうなるか。

破滅的、としか言いようがない。



だけど、そんなのは、今の自分だから言えるわけで。
彼らにも、幼いなりの必死な想いがあったのだろう。


そんなことを考えていたから、俺は行為に全く集中できなかった。

でも、桃城はいつの間にか、自分のパンツも脱ぎ捨てて、腰を押し付けてきていた。
お互いに擦られ合ったそれらが、白い精を吐いて、呆気なく終わった。



彼は、俺の体の上にのったまま、放心していた。
俺は、両腕を回して、彼の頭と背中を、撫でてやった。


桃城の背中には、終わった恋の抜け殻が、張り付いていた。

俺も、たぶん、いつかそうなる。
そのことは、最初から覚悟している。

それでもいいと思って、飛び込んだのだ。
そんな覚悟でありながら、俺は軽率で、自ら危機を招いたりしているのだけど。


考えてみれば、あの潔癖な恋人が、俺の浮気をよく許してくれたものだと思う。
だけど、この事を前後に、彼は変わった、というか、変わる努力をしてくれるようになった。


俺達が想いを通わせて、もうすぐ2年になる。
でも、実は、俺が本当に精神的に満たされたといえるのは、ごく最近、ここ1、2ヵ月のことだ。

大石は優しいけれど、それだけに、自分の気持ちを押し殺す癖がある。
それが恋愛面ではマイナス要素なのだと、最近、やっと自覚してくれた。

今は、自分の気持ちを、自分の言葉で伝えてくれる。
それは、もちろん、浮ついた、薄っぺらな台詞じゃない。

心の一番奥底に隠した、やわらかくて傷つきやすい気持ち。
それを、たどたどしく紡ぐように語ってくれる。


俺が、ずっとずっと、欲しかったものは、これだったんだ、と思った。


それに、彼が、俺のために、苦手なことに取り組んで努力してくれている。
たったそれだけのことで、俺の心は、自分でも驚くほど、穏やかになった。

離れた街で生活するようになって、会う時間も、セックスの回数も、去年より格段に少ないけれど、そんなことは問題ではなかった。


結論をいえば、セックスだけでは、決して満たされないのだ。
それは、やっぱり、愛し合うための手段の一つでしかない。

恋人の気持ちと言葉が、こんなにも必要だ、と気がついて、初めは抵抗があった。
なんだか、女の子みたいだ、と思って。


だけど、男同士だからこそ、不安や恐れを埋めるものが、必要なのかもしれない。
それは、むしろ、男女の仲以上に。

そして、それをセックスで代用することは不可能なのだ。


まぁ、ともかく、俺達だって、桃城と越前だって、普通の恋人同士よりは、苦労が多いと思う。
神様があらかじめ定めた規格から、外れているわけだから、倍以上の努力が必要なのだろう。



俺は桃城のかつての恋人に思いを馳せた。
言葉が、ひどく足りない彼に。

桃城は、相当苦労したに違いない。
同情するよりほかない。


「先輩、俺…。」
桃城は顔を上げて、すまなそうに俺を見た。

「これで、貸し借りなしね。」
俺は、そう言ってニヤッと笑いかけた。

「誰?」
彼の瞳を覗き込んで。

「ほんとうは、誰を好きなの?」
そう、尋ねた。

意地悪かもしれないが、触らせてやったのだから、それくらい聞いてもいいだろう。

俺に欲情したかもしれないが、心が本当に求めているのは、俺ではない。

それくらい、抱かれてみれば、わかるのだ。


「…終わったことですから…。」
彼は、絞り出すような声で答えた。

「やり直せばいいじゃない。」
あっさりと切り返した俺の顔を、彼は、虚を突かれたように見つめ返した。


「向こうがさ、諦めて欲しくないと思ってたら?思ってても言えないコだったら?放っておくのか?やり直そうって言ってやらないのか?」
彼は、一瞬顔を歪ませると、また、俺の胸の上に突っ伏してしまった。

俺も、自分の言葉に、はっとした。
そうだ、ダメになったって、やり直せばいいんだ。

まぁ、他にいい人ができちゃったら別だけど。
少しでも、お互いに、好きって気持ちが残っているなら、やり直すって選択肢を、選び続ければいいんだ。

桃城のためを思って言った言葉で、なぜか自分自身が救われてしまった。


そうして、なんだか気分がすっきりした俺は、彼を促して体を起こした。
彼は、すっかり沈み込んでいて、まだ横になっていたかったみたいだけど。

自分で出したものの始末をしろと、容赦なく働かせた。
こういう時は、考えているより、体を動かす方がいいのだ。


「諦めて欲しくないって、思ってるもんすかね…?」

知るかー。
俺は越前ではないのだ。
と思ったけれど。

「次の誰かが現れてなければ、まだ思ってるでしょ。早く動くに越したことはないよ。」
と、背中を押してやった。

「そうっすね…。」


うまくいくと、いいね。
っていうか、うまくいくまで努力しなよ。
初めからうまくいく関係なんて、ないんだから。
お前にとって、すげ替えのきかない、相手なんだろ?
お前が努力してるのを見たら、向こうだって、努力してくれるようになるはずだから。

そう言って、励ました。

わー、俺、先輩ぽい。
と思って、笑い出しそうになるのを必死にこらえた。
彼は真剣なのだから。

俺よりずっとしっかり者の、人の気持ちに聡いはずの彼も、好きな人の前では、子供のように無防備で、いとけなくなるのだ。

本当に、恋は不思議だ。

俺達は規格外れだから、人一倍大変な思いをして、でも人一倍、恋を楽しむこともできるのだ。
そう思うことも、できるじゃないか。



無性に、大石の声が聞きたくなった。

正直にそう告げて、だから帰ると言ったら、桃城は呆れていた。

「お前も、やることあるだろ?」
と言い捨てて、さっさと彼の部屋を後にした。



外へ出てみると、秋の夕方は、とっくに立ち去ってしまっていた。

だけど、夜空のどこを探しても、月は見つからなかった。

ああ。
「つきなきみそら」だ。

祖母が知っている唯一の聖歌を思い出した。

女学校時代に習ったというその歌詞は、俺が教会学校で聞いたものとは違った。
だが、美しい歌詞が好きで、子供のころ、よく祖母と二人で歌ったのだ。


つきなき みそら

きらめくひかり

ああ そのほしかげ

きぼうのすがた…

じんちははてなし

むきゅうのおちに

いざそのほしかげ

きわめもいかん…



神様、神様…。

あなたの作品の中で、俺は、完全な失敗作です。

でも、失敗作は失敗作なりに、あなたの造ったこの世界を愛して生きています。

あなたが、この世界と、彼を、それから、俺自身を造ってくださったことを、心から感謝して。


神様のいるところは、見えないと思っていたけれど、本当は、すぐそばにあるのかもしれない。
なんの根拠もなく思って、俺は一人で笑った。



携帯を取り出すと、彼からの着信履歴があった。
いつの間に。

マナーモードにしたんだっけ。
言い訳を考えながら、リダイアルボタンを押した。

早く。
早く、出て。
声、聴かせて。



希望、ってものは、気がつかないだけで、ほんとうはそのへんに転がっている。

そんなものだ。


月の見えない夜に、俺は一人でいたけれど、しあわせだと思っていた。

早く、彼に、そのことを伝えたい、と思っていた。



end


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