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Top of the world

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おまえがいれば。

おまえがいるから。

そよ風が頬をなでた。
そのやさしさにおどろく。

匂いたつ、花のかおり。
いのちのきらめきに気づく。

昨日と今日とでは、なにもかもが、変わった…。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


高校最後の夏が、ひとまず終わった。

インターハイ個人の部で、俺達のダブルスは優勝した。

相棒の大石は、号泣していた。
俺は、表彰式の間も、呆然としていた。
大石があんなに泣いたのは、どうしてだろうと思った。


…そうして、やっと、俺達のダブルスは、これで最後になるんだと、思い出した。

表彰式の後、いつも通り、会場の片隅に集合した。
反省会も、この日ばかりは、祝いと労いの言葉ばかりで。
OBの先輩方も大勢駆け付けてくれ、一言ずついただいた。

二人でそれを聞いている間も、反省会が終わった後も、今度は俺が泣き通しだった。
涙がどうしても止まらなくて、どうすることもできなかった。


昔、こんな風にいつまでもいつまでも、泣いたことがあった、と思った。

大石が怪我して…俺に何も言わないで全部決めちゃって…。
そのとき、俺は自分の気持ちに気がついてしまったんだ。

そんなことも乗り越えて、やっと果たせた誓いだけど、うれしいけど。
でも…。
これで最後だなんて…。


とっくに泣き止んだ大石が、俺の隣で、困ったように佇んでいた。

不二がその様子を見て、からかうように言った。
「英二、早く泣き止まないと、大石がいじめたみたいに見えるよ。」

大石が苦笑して、俺の肩に手を置いた。


そうして、彼が俺へ向けた、温かく慈しむような眼差しに、見たことがないような甘い色が混じっていた。
ほんのわずかだったけれど…。

うそ…。
脈ありってことかな…。

ひそかに驚いた。


…そうだ。
俺が、こんなに、こんなに大石を好きなのだ。
だから、彼にそれが伝染して…、少しくらい、そういう気持ちが起きたって、おかしくなんかない…。

こうして、二人で一つのことを成し遂げた、今この時は、かつてないチャンスなのかもしれない。
そう、思って、励まされた。


もともと、引退したら、大石に気持ちを告げるつもりだった。
脈があろうとなかろうと、けじめとして。

そう思ったのはずいぶん昔のことで、その後のことなんて、考えていなかった。
まさか、6年生にもなって、二人ともに彼女がいないとは思わなかったし。
さっぱりと、事実だけ告げればいいと考えていたのだ。


でも、俺は、その当時より今の方が、彼を好きなくらいで…。
ほかの誰の手にも、渡したくないと思っていた。

しかも、向こうも、まんざらではなさそうだ。
攻めようによっては、うまく、いくのかな…どうなんだろう…。
そんな風に思っていたのだけれど…。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


…だけど、その翌日から、俺は、腑抜けのようになってしまった。

アイスを食べて、犬と遊んで、祖母と一緒にCS放送の韓流ドラマを延々見続けて。
気がついたら、うたた寝してて。

そうやって、数日間、ただ、ぼんやりと過ごした。


そうして、俺は、ふと思い立って、大石に電話をかけた。

「…おーいし……。」
「…英二。…元気か?……大丈夫?」

「元気。…でも、大丈夫じゃない…。…テニスがないことに、まだ、慣れないんだ…。」


今の、俺の声、だよな…?
甘えたような、かすれ声…。
自分の口から出た声に驚いた。


「…俺もだよ…。」
大石の声音で、わかった。
彼も、俺と同じ気持ちだ…って。


「英二、宿題やったのか?」
彼が尋ねた。
口調は、友達のそれに戻っていた。

「まだ、全然…。」
「しかたないなぁ…。今から行くから、一緒にやろう。」


翌日も、大石は、うちへやってきた。
その翌日も。
毎日、毎日…。

彼は、朝の涼しい頃にやってきて、一緒に宿題をやって、昼前には帰って行った。
午後は、予備校の夏期講習に出ているのだ。



そうして、とうとう、夏休み最後の日が来てしまった。

朝、いつも通りに、彼がうちへ来た。

アイスクリームを作ったから、後で一緒に食べよう、と俺は言った。

「懐かしいな。1年の夏休みに、英二がうちで作ったろ。妹が、いまだにその話をするんだよ。」


そんなこともあったっけ。
そのときから5年が経ったのだ。
考えてみれば、長い年月だ。

我が家だって。
二人の兄姉は、結婚して、家を出た。
下の兄も、年上の彼女の家に転がり込んで、帰って来ない。
犬も歳をとって、あまり吠えなくなった。

あんなに賑やかだった我が家も、すっかり静かになってしまったのだ。


俺達は、そんなにも長い間、一つの目標を追い求めて、走ってきた。
そして、もうすぐ、二人の道は二手に分かれようとしている。

それぞれに、新しい場所で、新たな出会いをして、俺達二人が過ごしたのと同じだけの時間を、だれかとともに過ごして、思い出を積み重ねる。


そうやって、俺達の思い出も、新しい記憶によって上書きされ、消えてしまう。
俺は、そのうち、大石がいないことに、慣れてしまうだろう。
彼も、同じだ。

兄姉の恋愛が、始まって壊れてと繰り返すのを間近で見てきて、そういう現実は、つくづくとわかっている。


人間とは、忘れるために生きている生き物だ。
どんなに真摯な想いも、燃えるような熱情も、歳月の前にはひとたまりもない。

いつまでも忘れないなんて、物語の中だけのことだ。
人間にはそれができないから、美しい物語を作って愛でるのだ。


俺の想いだって。
彼の想いだって。
今繋いでおかなければ、風化してしまうのだ…。


その日も、俺達は、いつも通りに宿題を始めた。

そうして、とうとう、最後の一問を解き終わってしまった。

まだ11時前だった。


帰らないで。
帰らないで、欲しい。


「もうちょっと、いてよ。ね?アイスクリームが固まるまで…。お願い…。」

俺は、もう必死だから、恥ずかしげもなく、甘えた口調で縋ってしまった。

そしたら、彼も、甘い甘い表情になって、うなずいた。


…そんな顔、初めて見た、と思った。
ドキドキした。
俺がそんな表情にさせたんだけど…。

友達の顔じゃ、なかった。
きっと、恋人だけに見せる顔…。

いま俺のものにしなければ、他の人のものになってしまう。
それは、困る。
困るよ…。



俺は、二人のカップにコーヒーのおかわりを注いだ。

もう、彼の気持ちはわかっている。
彼も、俺の気持ちに気付いている。

どちらかが女のコなら、このまま二人は自然に付き合い始める。
でも、俺達は、そうじゃないから…。
踏み出さなければ、始まらない。


…キスして、そのまま、押し倒してしまおうか…。
行動に移してしまうのは、そう難しいことじゃない。

必要なのは、勢いだけだ。
あーだこーだとかき口説くより、いっそ話が早い。
祖母は離れにいるし、姉はどうせ昼過ぎまで起きて来ない。



だけど。
だめだ。
言質を取ろう。

彼の性格はよくわかっていた。
好き、とひとこと言わせれば。
彼は責任感が強いから、裏切らない。

彼を逃がしたくない。
確実に、捕まえたい。

それに、俺が欲しいのは、彼のくちびるでも体でもなくて、心だから…。



コーヒーを一口飲んで、俺は話し始めた。

「夏休み、終わっちゃうね。」
「ああ…。」

「大石が毎日来てくれて、俺、すごく、うれしかったよ…。」
「うん…。」

「ずっと、夏休みが終わらなければいいのにね…。」
「そうだな…。」

「テニスがなくなっても…。」
「…。」

俺たちは、見つめ合った。

「大石と、一緒にいてもいい?」

彼の瞳が揺らめいた。

「…うん。」

「俺、大石が好き。大石は?」
「俺も…。」

「はっきり言って。誰が好き…?」

「俺も、英二が好き…。」


言わせた…。

大石の瞳の、大きな黒目が潤んでいた。

彼の手の上に、俺の手を重ねた。

そうして、言った。

「ありがとう。お願い、これからも、ずっと、一緒にいて。」

「うん。英二と一緒にいる。英二と一緒にいたい…。」



幼い約束だけれど。
ほんとに果たしてくれなくても、全然、まったく、かまわないけど。
言葉だけ、気持ちだけもらえれば、うれしいから。


きっと、不可能な約束だけれど。
でも、もしかしたら、彼なら、ほんとに果たしてくれるかもしれない、とちょっと思った。



それから、アイスクリームが固まるまで、俺達は、他愛のない話をして、待った。

その時間は、全然長く感じなくて、あっという間で。

出来上がったアイスクリームは、ひんやりとのどに心地よくて、やさしい甘さだった。

おいしいね、と言い合った。

キスしたかったけど、がまんした。

やっぱり、彼のくちびるも欲しかった。

でも、お楽しみは後に取っておこう、と思った。




彼が帰ってから、洗濯物を取り込んだ。
夏の日差しに、色が褪せてしまわないように、まだ日が高いうちに取り込むのだ。

見上げると、空が青くて、どこまでも高くて。
庭の緑が、眩しかった。
祖父の育てている百合が、大輪の花をいくつも咲かせていた。


世界が輝いて、いる…。
そう、思った。

あれだな、あの歌みたいだ。
…なんだっけ。
まぁ、いいか…。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



翌日から、新学期が始まった。

購買の前で、不二に会った。

「"Top of the world" って顔してるね。」

彼は、そう言って、微笑んだ。

そうそう、それだ。

やっぱり、不二は、俺の気持ち全部わかってる、と感心した。

大石を好きだって、一度もちゃんと話したことないのに。

だから、俺も微笑み返した。

「…長い間、ご心配おかけしました。」

「…心配?…楽しんでは、いたけど…?」

俺達は、クスクスと笑い合った。



校舎の窓から見上げた9月の空は、まだ、まるきり夏の色をしていた。
雲は高いところに置かれて。


だけど、それすら、手を伸ばせば届きそうだと、俺は思っていた。
世界のてっぺんに立って…。


end


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