security blanket


もっと、あまえなよ。
もっと、たよっていいよ。
ぜんぶ、受け止めてやるから。

ほどいて。
とかして。
とけあって。
ながれていってしまおうよ。
どこか、とおい、とおいところまで。


☆☆☆☆☆☆



「ただいまー。」
ドアを開けると、いつものとおりの、のんびりした声。
だけど、大石の表情には、さすがに疲れが陰りを与えていた。

「外、寒かった?」
「うん、冷えるな、今夜は。」

「今出る」と、短いメールが来てからすでに4時間。
急患だったのかなんなのか知らないが、ともかくやっとのご帰還なのだから。
すでに日付が変わってしまっていた。
軽く触れるだけのキスをして、尋ねた。

「ごはん、食べる?」
「うん。お茶漬け、食べたい。」
「了解。お風呂沸いてるから。」
「うん。」

猫が一匹、彼の足元にからみつきながら、一緒にバスルームの方へと歩いて行った。
心なしか、足どりがおぼつかないような。
猫が踏まれそうになっていた。

大変な仕事だとはわかっていたけど、大丈夫なのかと心配にはなる。
体は丈夫な方だから、若いうちはいいだろう。
年取ったら、どうするつもりかな、そんなことも考えるけど、聞いてみたことはない。

どちらかというと、体より、心のほうが心配だ。
大石は、気分転換が得意なほうではないから。

寒い時期はとくに、コーヒーよりも温かい紅茶か、ココア。
猫も、何匹もいれば、1匹くらいは俺の相手をしてくれる。
生物部の連中と雑談に興じたり、彼らをからかって遊ぶのも、いい気晴らしになる。
俺はそういうものを見つけるのが得意なほうだけど。

見つけるのが下手なのか、見つける暇も惜しんだのか。
とにかく、彼は、緊張を解くのが上手じゃない。

風呂から上がって、お茶漬けをすすったら、すぐ眠りたいと言うだろう。
だけど、結局は、求めてくるんだろう。
それは、うちに入って来たときから、わかっていた。

恋情でも、欲情でもない動機で、セックスするなんて。
一緒に住むまでは、思ってもみなかった。


お茶漬けの用意に取り掛かった。
鮭とたらことしいたけを、火で炙って。

猫たちがにおいを嗅ぎつけて、足もとにすりよってきた。
「おまえたちのじゃないんだよ。こんなしょっぱいの食べたら病気になっちゃう。」
そう言っても、彼らには通じない。
なにを言っているの、と見上げてくちびるの動きを見つめていた。

ベランダに出て、プランターのみつばを摘む。
外はやっぱり寒かった。
強い風に、うす墨色の雲が飛ばされていく。
いつの間にか冬が来ていたのだ。
夏場などは夜中まで遊んでいたからすも、きっとねぐらに帰って休んでいる。

つよい風。
月のひかりも星のひかりも、吹き飛ばされてしまった。
黒い空を映した川が、横たわっている。
黒い流れが淀んでいる。
なんだか怖いと思った。

今生えているのを食べてしまったら、今年のみつばはおしまい。
冬が来るのがさみしいなんて、今まで思ったことなかったけど。
野菜を育てるようになってから、時々そんな気分になる。

西の空がぼんやりと明るい。
街のひかりが、空を照らしている。
天と地とが逆転したようだ。
罪深い人間の都が、天上を冒涜している。


白いご飯に具をのせて、みつばを散らして、濃いめのお茶を注いでから、海苔をちぎって入れる。
菊丸家のお茶漬けの味を、大石は気に入っていた。

「1杯やらないの?」
「かえって夜中に起きちゃうから。食べたらすぐ寝るよ。」
「うん。」



☆☆☆☆☆☆



ベッドに入ってしばらくすると、体に触れてきた。
うなじにくちづけながら、パジャマの中に手を滑り込ませる。

性急な指の動き。
うなじにかかる熱い息。
体に当たる彼のものはすでに、硬くて熱い。

おもむろに立ち上がった彼は、潤滑液を手に戻ってきた。
両手に取って、前と後ろとを同時に愛撫しはじめる。
無理やりに高められて、息が上がる。
後ろから、彼のものがあてがわれて。

大石の心が、俺の心の中に侵入してくる。
ふかく、ふかく。
研ぎ澄まされてかたくなになった心が、押し入ってくる。

いいよ。
おいで。
もっとふかくまで。
大丈夫だから。

あまえていいよ。
すがっていいよ。
ぜんぶ、受け止めてやるから。
ほどいてやるよ。
おまえを縛っているものから。


二人とも、あっけないくらいにすぐに果てて。
ぼんやりした頭で、ベッドを汚してしまったと思った。
フットライトを点けて頭を巡らすと、俺のパジャマのズボンとパンツとが毛布に丸め込まれていた。

「ごめん…。」
ほんとうにすまなそうな顔で。
ぎゅうぎゅうに抱きしめられた。

「…なにが?」
とぼけて、答えた。
「俺にだけ、こんなカッコさせて、ずるいぞ。」
俺は下半身だけ全部脱がされて、なんだかもう、犯されましたって感じだった。

大石のパジャマのボタンを上から外していった。
自分のパジャマも脱ぎすてて、肌を押しつけて。
彼にくちづけた。

「もう一回、しよう、ちゃんと。」
彼はそう言って、もう一度くちづけをくれた。
その声が、あまくって、それだけで、頭の芯が痺れた。

大石の声は、やさしい楽器の音色みたい。
なんだろ、チェロとか。
そう、チェロの音色みたい。

その音色が、何度も俺の名前を呼ぶ。
だいじょうぶ。
そんなに何度も呼ばなくても。
どこにいるか、ちゃんとわかっているよ。
水の底にいたって、すくい上げてやるから。
いまから、助けにいくからね。
ちょっとまってて。

大石が俺にしがみつく。
くるしかった?
かわいそうに。
息ができなかった?
もう、だいじょうぶ。
大丈夫だよ。

くらい、くらい水の底。
もがいてあがいてのぼってゆく。
ぼんやりとあかるいところを目指して。

水の温度があがった。
あたたかいね。
きもちいいね。

大石がうごくと、俺もうごく。
ゆるやかにゆるやかに。
つながったところから、からだじゅう、あったかくなっていく。
間近にある彼の頬があかい。
俺の頬もたぶん。
俺の体を抱く彼の指先があったかい。
俺も、足の指の先まであったかい。

ぐるぐると、あったかい血が、からだじゅうをめぐっている。
ゆるやかにゆるやかに。

時間がゆっくり流れているみたい。
おかしいね。

溶けてしまおうよ。
溶かしてあげるから。
いっしょに溶けてしまって、そのまま流れていってしまおうよ。
どこへ行くのかなんて、考えないで。

からみあい、まざりあう。
あつい肌と肌。
あつい息と息。
あつい体液と体液。
たがいの輪郭を、溶かしてしまおうよ。
からみあい、まざりあう。

溶けだして、まざりあう。
…俺はだれで、おまえはだれなんだろう。
溶けだして、まざりあう。

ここはどこで、いまはいつ、なんだろう…。


気がつくと、大石が俺の顔を覗き込んでいた。
「…あれ?」
「大丈夫?」
心配そうに、俺の頬を撫でた。

「…うん。めちゃめちゃ大丈夫なんだけど…。」
「びっくりした。」
「…俺、いっちゃったのかな。」
「そうなの?」
「たぶん…。」

大石は、俺ほど気持ちよくなかったのかな。
ひとりで、いっちゃったのか…。

「俺も…。からだが溶けちゃったかと思った。」
「大石も?」
「うん、英二と俺と、さかいめがわかんなくなった。」
「そう、俺も。こーゆーセックスも、あんだなぁ。びっくりした。」
「ああ。こんなのはじめてだな。」

ベッドの汚れ方に唖然とした。
二人でシーツと毛布をはずしながら、笑うしかなかった。

「ひでぇ。がびがびだ。」
「はは。こんなに汚したの、はじめてだな。」

そういえば、そうなのだ。
二人ともどこか冷静で、はじめる前の準備は怠りない。
いつもはそうだったのだけれど。

「…風呂、入ろうか。」
「…何もすんなよ。明日早いんだから。」
「はいはい。わかってます。」
睨みつけたら、彼はクスクスと笑いながら答えた。


大石がドアを開けると、例の猫が座っていて、にゃあとひと鳴きした。
「なんだよ、おまえ、立ち聞きしてたな。」
彼はそういうと、猫を抱え上げた。
そのまま、風呂を沸かしに行ったようだった。

俺は、はがしたシーツと毛布を抱えて、洗濯機の中に押し込んだ。
居間のドアを開けると、正面のベランダに彼の背中が見えた。
猫を抱えたままで、タバコを吸っていた。
鼻先で煙を吐かれているというのに、猫はおとなしく抱かれている。

心配して損したかな。
なだらかな肩の線をながめて思った。
大石は、ちゃんと見つけているんだ、ほっとするものを。

彼が簡易灰皿にタバコをねじ込んで、サッシを開けて部屋に入って来た。
俺は近寄って、くちびるを奪った。

「…タバコの味、嫌いじゃなかったの?」
「…嫌いだけど。こいつに負けたくないんだもん。」
猫を見下ろしたら、きょとんとした顔でこちらを見上げていた。

「はは。英二はさ、俺の安心毛布なんだよ。」
そう言って、大石は俺の髪の中に指を入れると、ゆっくりと引き寄せた。
猫はきゅうくつそうに体をよじると、彼の腕の中から床へ飛び降りた。

「安心、するってこと?俺といると。」
「そうだよ。だから、英二を取り上げられたら、きっと、不安でおかしくなっちゃう。」
「そうなの?へへ。」

指と指とをからめあって。
もういちどキスしようと、まぶたを閉じた。

ピーっと、けたたましい音をたてて、やかんが鳴った。
なにか温かいものを飲もうと思って、火にかけたやかんが、沸騰したのだ。
二人とも驚いて体がびくっと反応したから、おかしくなって顔を見合せて吹き出した。

「…ほら見て。びっくりしてる。」
「ほんとだ。」
猫も、驚いて背筋を伸ばしたままで固まっていた。

「風呂沸くまで、お茶のんでよう。カフェインレスの、あるから。」
「うん。牛乳ある?ミルクティーにして。」
「うわぁ、めずらしい。大石がミルクティーなんて。」


部屋の中はまだ寒かったけど、大石の手はあたたかかった。
指の先までも。
あたたかだった。



end