やさしいメロディ。
やさしい曲。
やさしい、大石。
あつい指。
つたない指。
やさしい指。
やさしい、大石。
おまえが、だいすき…。
☆☆☆☆☆☆
「おじゃましまーす!」
ちょっと大きな声を出したら、思いのほか響いて、驚いた。
追い出し試合の後で、久しぶりに大石のうちを訪ねた。
俺のうちの居間より、音がずいぶん反響するのだ。
たぶん、おばさんによって、部屋が品よく整頓されているからだ。
うちみたいに、じいちゃんの土産物とかばあちゃんの人形とか、無駄なものが並べられたりしていない。
居間の奥から、大石の妹がぴょこんと顔を出して叫んだ。
「エージくん!」
「よ!ひさしぶり!元気〜?」
「元気!元気!いまレッスン中だから。終わったら遊んでー。」
「りょーかい!レッスンがんばって。」
「うん!」
指ならしの練習曲は、スタッカートがきいている。
そのリズムにあわせて、階段を上っていく。
追い出し試合は、遊び半分のつもりが、途中から本気になってしまった。
夏以来のダブルスで、俺の気分は最高潮。
高等部最後の夏が終わって、ダブルスのパートナーは恋人になってしまったわけだけど。
やっぱり、二人でテニスしているのが一番落ち着く。
アイコンタクトも、自然にできるし…。
部屋に入ると、大石が口を開いた。
「あんな笑顔のあいつを見たの、何か月ぶりかなぁ。」
「へ?どしたの?」
「いまさ、反抗期真っ盛り。」
「ふーん。そうなんだ。」
「ピアノだって、やめるのやめないの、先週は大騒ぎだったんだ。」
「へえー。」
何オクターブかの間をいったりきたり、同じリズムをきざんでいく。
たしかに、こんな曲、退屈だろう。
でも、先生がわざわざ、うちまでレッスンに来るのだ。
サボることもできないじゃん、と彼女に同情した。
そう思いながら、水槽を覗いた。
大きな、深い森がある。
手前にある木の洞を、あかるい色の熱帯魚が2匹、尾をひらめかせて通り抜けた。
小さなやどかりが、重なりあっている。
静かだな、この中は。
一つの世界、完結した世界。
完璧な世界、それがここ。
きれいに磨かれた水槽の表面に映った、制服の俺。
来週は卒業式。
この制服を着るのも、あと数えるほど。
大石の完璧な世界に入ろうと、あがいてきた。
だけど、俺って存在は、やっぱり、異物。
完璧な世界を壊すもの、だいなしにするもの。
そんな気がして、ならない。
いったりきたりを繰り返す、はずむような、でも、退屈なリズム…。
「英二。」
後ろから声をかけられた。
水槽に映った大石は、いつのまにかTシャツとパーカーという、くつろいだ格好になっていた。
「あっ!」
「な、なに?」
「どうして着替えちゃったんだよ?」
「え?なに?どうしてって?」
見つめ合って、ついと視線をそらされた。
「…あと、何日かなんだよ?制服着るの…。なごり惜しいじゃん…。」
まつげをかるく伏せて、沈黙をつくる。
きっかけは、いつも、俺があげる。
背中に手をまわされて、引き寄せられて。
大石の顔が近づく。
俺はまぶたを閉じる。
くちびるを重ね合わせて、たがいのあまい蜜を味わう。
背中にまわした手をうごめかした。
スタッカートにあわせて。
彼がぴくりと反応した。
曲が、変わった。
流れるようなメロディの、きれいな曲。
ときどき、つまづき、戻りながらの演奏だけど、曲の美しさは想像できる。
「…なんて、曲?」
くちびるが離れたから、尋ねてみた。
「…アラベスク、だったかな…。」
それだけ言うと、また、くちびるを合わせた。
こうして、キスしていれば、安心できる。
大石は、俺のことが、好き。
たぶん…。
…その先を、してみれば、いいじゃない。
不二の言葉が、頭のなかを、ぐるぐる、めぐる。
やっぱり、それしか、ないのかな…。
アラベスク、とかいう曲にあわせて、指で背中をやさしくなでた。
彼の体が、びくんと動いた。
それでも、なにごともなかったかのように、キスはつづく。
☆☆☆☆☆☆
「…いったいなんで、大石がきみのこと、好きじゃないなんて話になるわけ?」
「…だって、目があわないんだもん。」
「毎朝、一緒に登校して。二人のときは、キスもするんでしょ?」
「俺はさー、キスしたいんじゃないの。いちゃいちゃしたいの、ただ。手つなぐだけでいいの。目見てほしいの。」
「…そこまで欲求がはっきりしてるんなら、僕に言わないで直接言った方がいいよね?」
不二は、あきれた顔で、ため息をひとつついた。
「…言えないよー。もしさ、キスしたいだけだったら、俺なんて、用済みじゃん。」
「どこをどうして、そういう結論になるの。」
「だって、俺だって経験あるもん。あいつ、免疫ないからさ。キスにはまってるだけかもしんない。」
「英二がそうだったからって、大石もそうだとは限らないでしょ!?」
「…不二、こわい…。」
不二は開いたまぶたをそっと閉じて、きみがそういう顔にさせたんじゃないか、とつぶやいた。
「じゃ、その先を、してみれば、いいじゃない。サオリちゃんだって、それで、英二の気持ちがないのに気づいたんだから。」
そうなのだ、もうずいぶん昔の、中等部の頃の話だけど。
キスの先をして、何度かして、最後まで行くまでに、俺はフラれた。
本気じゃないと見抜かれた。
ただ、エッチのまねごとにはまってるだけなんだと、気持ちがないことを、見破られた。
「…やだー。こわいよ。それこそ、終わりかもしれないじゃん…。」
「べつに、いいじゃない。向こうが本気じゃなくったって。相手してくれるなら。僕なら平気。」
「…不二、大人ぁ…。」
つくづく感心して、彼をながめた。
中等部の頃から大人びた顔つきの彼は、ほんとに心まで、大人びている。
でも、たしかに。
大石の気持ちが俺になくたって。
他の人にとられるより、どんなにか、ましだ。
つらくて、みじめで、せつないかもしれないけど。
どんなにか、ましだ…。
☆☆☆☆☆☆
背中にまわした手を、Tシャツの中に入れた。
そのまま、アラベスクのメロディに合わせて、指をうごかした。
大石は体を硬くして、くちびるを離した。
びっくりした顔。
なんで、そんな顔、するの…?
「…いや?」
「ううん。でも、俺、どうしたら、いい?」
「大石は、なにもしなくて、いいから。」
やさしいメロディに合わせるように、二人の体は自然に重なり合った。
Tシャツの中に手を差し込んで、指でさすりあげる。
きめが細かい、なめらかな肌。
くちづけて、舌をはわせた。
大石の、においがする。
どうしよう、興奮してきちゃった…。
興奮すること、してるんだけど…。
おへその形、きれい。
腰骨の形も、きれい。
大石の体って、きれいだな…。
俺がはじめて触れたんだ。
なんだか、このあと捨てられたって、いいような気がしてきた。
不二の言ったこと、今ならわかるよ…。
服の上からでも、はじめて触れる、大石の中心。
すこし、硬くなってきてる。
きゅっとつかんで、彼の顔を見上げた。
目をつむっていた。
かわいい…。
パンツの中から、それを引き出して、手の中におさめた。
自分のをするときと同じように、包んだ手を前後に動かした。
かたく、かたくなっていく、大石の…。
気がついたら、口の中に、含んでいた。
「英二!」
大石が体を起こした。
「いたっ…。」
歯があたってしまったのだ。
「ごめ…。」
目が合った。
目を合わせたまま、もう一度、口に含んだ。
「英二、だめ!」
顔、真っ赤…。
なんて、かわいいんだろ…。
まぶたを伏せて、舌とくちびるの感覚に集中した。
きもちよくしてあげられるか、わかんないけど…。
くちびるも、舌も、思い通りに動かない。
もどかしい。
きもちよくしてあげたいのに…。
手でした方が、よっぽどいいんじゃない?
ただ、している俺の方は、なんだかエッチな気分になっていった。
頭の芯がぼうっとする。
俺、バカになっちゃうかも。
これ以上バカになったら、こまるよ。
でも、もっと、したい。
こわいけど。
もっと見たい。
この先には、どんな快感があるのか。
「ふうっ。」
あまりにもくるしくて、息をつごうと口から外した。
きもちいい顔してるかな、そう思って、見上げたら、目が合った。
なんだ、俺がするとこ、ずっと見てたんだ。
ダメって言ったくせに…
瞳を据え付けたまま、舐め上げた。
いっかい、にかい…。
「だめだってば!」
説得力ないよ…。
「…っつ!」
見慣れた白い液体が、俺の額にかかってとろりと流れ落ちた。
「…っいたぁ。」
「ごめん、大丈夫?」
「目に、はいった。いたい、たすけて。」
「目に!?とりあえず、タオルでふいて!あ、目薬、さしてみよう。」
いった直後だというのに、大石はてきぱきと動いてくれた。
結局、目薬をさしもらって、眼に入った精液を流しだしたら、痛みは治まった。
「…ごめん。俺…。」
あんまりな顛末が申し訳なくて、目を見られなかった。
でも、そんな俺を、大石はただ抱き寄せてくれた。
「痛い思いさせて、ごめん。ありがとう…。」
「うん…。」
「今度は俺にさせて。下手くそだと思うけど…。」
「うん…。」
促されて、床からベッドに移動して、横たわった。
なんだか、あらためてで、緊張した。
「背中痛いと、かわいそうだから…。」
慈しむような、まなざしで。
微笑みながら、頬をやさしくなでてくれた。
俺、ばかだった。
大石、こんなに、やさしいんじゃん…。
やさしい、メロディが聞こえる。
ああ、アラベスク、まだ弾いてたんだ。
夢中になってて、ピアノの音も、聞こえなかった。
あ、つまづいた。
また。
なんども、なんども、おなじ小節を失敗して。
またはじめから、やりなおし。
でも、やさしい曲。
この曲、すごく、好きかも…。
俺の肌の上を、大石の指が這いまわる。
あつい指。
つたないけど。
たどたどしいけど。
やさしいメロディ。
やさしくて、あつい想いが、指先から、肌に伝わる。
くちびるが、肌に押し付けられた。
くちびるも、あつい。
あつくて、あつくて。
俺もあつくて。
きっと、顔、真っ赤だ…。
なんだか、はずかしくて、ぎゅっと目を閉じた。
大石は、鎖骨とか、腰骨とか、骨という骨にひっかかって、舌でもって舐め上げた。
大石、骨フェチだったのか…。
俺、太れないじゃん…。
そんなこと考えてたら、やっとリラックスできて、口元がゆるんだ。
そうしたら、なんだか急に、触れられるのが気持ちよくなって。
体をねじった。
これって、よがる、ってやつ…?
まさか、自分がよがることになるとは思わなかった。
こんなこと考えるなんて、まだ、冷静だな…。
アラベスクのやさしいメロディ。
やさしくてあつい指。
つたない演奏。
たどたどしい指先。
やさしい大石。
指先から、ちゃんと伝わるよ。
俺も、好き。
おまえが大好き…。
まぶたを開いて、大石を探した。
気がついて、目線を返してくれた。
微笑みあって。
安心した。
一年分くらいのため息を吐いた。
何度も体をよじった。
シャツが、しわくちゃ。
冬服で、よかった、と思った。
ついにというべきか、大石が俺のそこに手をかけた。
ベルトをはずして、制服のズボンを引き下ろして、パンツも引き下ろして。
えーっと思った。
いきなり、パンツ脱がされた。
もう、直接、さわっちゃうの…。
その先を、指の腹で擦られると、あっと声を上げそうになった。
自分では何度もしていることなのに、恋い焦がれてる相手にされるとなると。
意味合いも、気分も、まったく違う行為になるのだ。
気がつくと、目の前に、大石の顔があった。
初めて見た、顔だった。
頬は上気して、瞳はうるんで。
いつもより、黒目が大きくて。
うっとりしたような顔で、見つめられた。
熱にうかされたみたい…。
たぶん、俺も、そういう顔、してる…。
大石の手は、休まずに動かされている。
二人とも、息、荒い…。
なんだか、はずかしい。
思わず、顔をそむけた。
「英二、顔、見せて。見たいんだ。」
「やだ…。こんな、ちかく…。」
「お願い…。」
抵抗する俺のこめかみに、大石のくちびるが押しつけられた。
まぶたにも、頬にも。
キスの雨がふる。
やさしい、やさしい、キスの雨。
やさしくて、あつい…。
俺も、すき、だいすき。
大石が、すき…。
あっ、と思ったら、出していた。
大石の手を、汚してしまった。
「ごめん。拭く。」
「そんなの、気にしないで。俺がするから。」
「でも…。俺が汚したのに…。俺がする。」
なんか、大石、はじめてなのに。
落ち着いてるなぁ。
それに、意外と、エッチかった…。
また、目が合った。
大石はもう、目をそらさなかった。
「へへ。…うれしかった。いっぱい、目が合って。」
「…そんなのが、うれしいの?」
「うん、だって。いつもは、大石、目をそらしちゃうから…。」
そこまで言ったら、涙がわーっとあふれてきて、何も言えなくなってしまった。
ほっとしたのと、うれしいのとで。
ひとつまばたきをしたら、ころころと涙のつぶが落ちたから、びっくりした。
「ごめん…。そんな風に思ってたなんて。」
「俺のこと、好きじゃないのかと、思った。」
「…どうして?そんなわけないだろ…。」
「だって…。バイバイのときも、後ろ向いてくんないし…。俺の片思いなんだって、思った。」
「ごめん…。俺、変に意識しちゃってたのかな…。はずかしかったんだ…。ごめんね。」
大石、めちゃめちゃ焦ってる。
涙に、弱いんだ。
そんなとこも、単純で、かわいいな…。
ぎゅうぎゅうに抱きしめられた。
「だいじょーぶ。もう、わかったから。大丈夫だよ…。」
なだめるように、大石の背中をなでた。
「ね?また、エッチ、しよーね?」
「…これ?エッチ、なの?」
ぽかんとした顔で、大石が俺の目をのぞき込んだ。
「ちがうの?」
「うーん、大きく違いはしないんだけど、なんていうか…。」
「卒業式のあと、来てもいー?」
「もちろん、いいけど…。」
苦笑して。
額にキスをくれた。
いつの間にか、ピアノの音は、やんでいた。
だけど、俺の頭の中では、まだアラベスクが鳴っていた。
肌の上を奏でていった、やさしい指先の記憶とともに。
end