ペテン師入門

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嘘をつくなら、大きな嘘を。

大きな嘘ほど、案外、ばれないものである。


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「菊丸くん、ちょっといいかな?話があるの。」

昼休み、4年6組の教室で、俺は彼女に呼び止められた。

同じクラスの山本玲ちゃん。
高等部になって初めて、同じクラスになった。

彼女が先に立って廊下を歩いて、俺はその後ろをついて行った。
フロアの中央にある、ラウンジを通り抜けて、突き当たりの窓を開けてベランダに出た。

「うちのクラス、どう思う?」

一体なんの話だ、と訝りながら、考えた。
高等部に上がって、まだ1週間。

4年6組は、個性豊かな生徒が集まっている。
担任は、若い男の先生で、聞くところによると、初担任ということだ。

青学は、割と、じーさんばーさんの先生が多い。
女子なんか、担任が若くて男ってだけで、はしゃいじゃってる。
男子も、女子につられて浮かれ気味かもしれない。

担任は、まぁ、確かにいい男だけど、ちょっと、頼りない。
昨日なんて、ホームルームがうるさくて、隣のクラスの先生に怒られた。

でも、彼の持っている雰囲気は、かなり好きだった。
のんびりしてるっていうか、おっとりしてるっていうか。

「このクラス、まとまると思う?」
「うーん。今のままじゃ難しいかもね。」
「このままでいいのかな?」

…このままではよくないのはわかるけど。
彼女は、俺にどうしろと言うんだろうか。
「山本さんは、どうしたらいいと思うの?」

そしたら、彼女は、待ってましたとばかりに話を始めた。
彼女のお姉さんが4年生だった時、4月にカップルが誕生したのがきっかけで、クラスが盛り上がってまとまった。
そうして、文化祭なんかの行事も大成功だった、ということだ。

「だからね。うちのクラスでも。」
と言って、彼女は俺の目を見た。

「そんな都合よく、カップルなんて、できないでしょー。」
「そうなの。その時も、嘘だったのよ。本当は、付き合ってなんかいなかったの。」

クラスをまとめようって、ある二人が付き合うふりをした。
その女のコの方が、山本さんのお姉さん。

へえ、あの人が。
俺は、彼女の姿を思い出した。

山本姉妹といえば、青学関係者なら知らない人はいない、美人姉妹だ。
二人とも箏曲部で、文化祭では、中等部、高等部の枠を越えて公演をする。
美しい着物を着て、琴を奏でる二人の姿は、多くの男子生徒の憧れの的だ。


「…菊丸くんと私、ってのはどうかなと思って。」

えっ。
そういうこと?
不意打ちに、絶句した。


「あっ、もちろん、フリよ、フリ。」

「…俺なんかで、山本さんのファンが納得するかな。」
「菊丸くんなら、誰も文句言えないわよ。」

「そうかなぁ…。それに、俺と山本さんって組合せ、違和感アリアリじゃない?」
「そうかしら?悪くないと思うけど。菊丸くんには、あたしみたいなしっかりしたコが合ってると思う。」
と言って、彼女はきれいに微笑んだ。

本当に、俺を好きってわけじゃあなさそうだ。
告白してくる女のコってのは、もっと、切羽詰まってる。

彼女の目的は何だろう。
そもそも、今好きな人とか、付き合っている人はいないんだろうか。
もし、そうならば、こんな申し出は、しないだろう。

じゃあ、例えば、うちの担任。
彼の窮状を見兼ねて…とか?

「まさか、いっちーのため、とか?」
いっちーってのは、担任の愛称。

彼女はクスクス笑い出した。
違うんだ。

「でも、好きな人はいるの。叶わないってわかってるから、こんなことできるんだけど。」

叶わない…。
こんな綺麗なコが片思いか…。
世の中うまくいかないよな。

片思いの相手、青学生だろうか。
青学は中高一貫校だから、中等部の1、2年に付き合い始めた、公認カップルというのが、いくつか存在する。
暗黙の了解で、不可侵の領域のそこに侵入する者は、まずいない。

あ…。
彼女の好きな人って…。
「俺、わかっちゃったかもしれない。」

いー、ん、ちょー、?
って、声を出さないで、くちびるだけ動かして尋ねた。

「勘、いいのね。」
彼女はそう言って、また微笑んだ。

片思いの相手は、うちのクラスの委員長だった。
なるほど、彼には、公認の彼女がいる。
このクラスがまとまらなくて、困るのは、担任の次に、彼だ。

彼のために、か…。
俺なんか、大石のために何かしたい、って思っても、結局何にもできないのに。
いつもいつも。

彼女は、すごいな。
この、胆の据わりよう。
お人形さんみたい、なんて思ってたのに。
心底、彼女を見直した。


「菊丸くんは?好きな人いないの?いたら、この計画、迷惑よね?」
「俺は、いない。協力するよ。協力したい。」

叶わない、なんて、思って欲しくない。

俺も、本当は、めちゃめちゃ好きな人、いる。
でも、この気持ち、まだ、言うつもりはなかった。

俺は恋ってものを知ったばかりで、正直扱いかねていた。
こんなにも熱く激しく、そして醜い想いが自分の心に宿ったということが、まだ信じられずにいた。

彼女の申し出は、だから、渡りに船、というやつだったかもしれない。

いつまで、自分に、彼に、嘘をつき通せるか試してみようと思った。

でも、たぶん、部活を引退したら、俺は、自分の気持ちを告げずにはいられないんだろう。
俺達をつなぐ、テニスがなくなったら。

その間に、大石にはきっと彼女ができる。
俺だって、他に好きな人ができるかもしれない。

はやく、そうなったらいい、と願っている。

そうしたら、実はお前のこと好きだったんだ、ってさらっと言えると思うから。

本当は、そんなカッコつけじゃなくて、俺の醜いところも全部、知ってほしいけど。
きれいごとやごまかしは、俺には合わない、そう思うんだけど…。


「…ありがとう。じゃ、学年が終わる時に、この契約は満期終了ね。それから、菊丸くんに彼女ができたら、いつでも解消OKだからね。」
「山本さんの恋が実って、契約解消できるといいなぁ。」

「フフフ…。じゃ、今から、英二くん、って呼ぶね。」
「俺は、玲ちゃんって呼ぶよ。」


計画、成功するといいな…。
健気な玲ちゃんと、幸せ者の委員長のためにも。
初担任で苦労している先生のためにも。

ふと、階下の中庭を見下ろすと、例の担任が、花壇に水を撒いていた。

「いっちー!」
俺は、彼の名前を呼んで、手を振った。

彼は、びっくりした様子でこっちを振り向いた。
ベランダにいる俺達の姿を認めると、にっこり笑って手を振り返した。

愛称で呼ばれても、彼は放置している。
そんなおおらかさも、俺は好きだ。

隣の玲ちゃんも、いっちーに手を振っている。
なんだか、幸せだ、と思った。
この時間が、とてもとても愛おしく思えるのは、どうしてだろう。

当たり前だけど、俺達のクラスが存在するのは、たった1年間っていう期限つき。
だからこそ、とても貴重で、キラキラしたものに思えるのかな…。


俺は、隣にいる彼女の手を取った。
彼女はクスクス笑い出した。
二人とも、悪戯を始める直前の、ワクワクした顔で。

手をつないで廊下を歩いて、4年6組の教室へ入った。
しばしの沈黙の後、大歓声が上がった。

まずは、成功。
でも、クラスのためには、これからが大仕事なのかなあ。

彼女を見ると、まだクスクス笑っていた。
俺も、気負わず、楽しんで行くか、と思ったら、自然と笑みがこぼれた。


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人を大事に思って、その人のために何かすることって、ほんとうに尊い行為だ。
それを、何の気負いもなくやってのける、彼女はカッコイイ。

俺は、嘘つきの、腰抜け野郎で。
だけど、彼女がくれた大義名分のお陰で、しばらくは生きながらえる。
俺のペテンがどこまで通用するものか、わからないけど。


…だけど、いつかは俺も、彼のために何かできるといい。

嘘とペテンを見せるだけでは、やっぱりむなしすぎるから…。


end


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