三日月

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「一見似てない親子って、足の指がそっくりなんだって」

大石がそう語ったのは、まだ中等部の頃のことだ。
大石の顔立ち自体は、父親によく似ている。

「母さんと俺、同じ指してるんだ」

ひとしきり感心したものの、そのことはある時まですっかり忘れていた。


中等部3年の春だった。

学校の中で、大石のお母さんにばったり出会った。
出会ったというよりは、見つけられたという感じだった。

よく見知った顔が、見慣れぬスーツ姿で、似合わない場所に立っていた。

「よかったぁ。知ってる人がいて。どうしよう、おばさん、迷子なの」


高等部への進学を控えて、三者面談の期間中だった。
俺はというと、部活へ向かおうとちょうど校舎の外へ出たところだった。

「教室、聞いてきたのに、わからなくなっちゃったの」
申し訳なさそうに肩をすくめて、2階の辺りに視線をさ迷わせた。

「ここ上がってすぐだよ」
都合のよいことに、目の前にあるのは、2組の教室に一番近い昇降口だった。

「あ、でも、スリッパ…」
「持ってるわ。持って来たの」

小走りになった背中を追って、一緒に校舎へ入った。

おばさんはきれいに磨かれた黒いパンプスを脱ぎ、裸足で床に上がった。

ストッキングを通して覗いた指は、よく見慣れたそれと同じ顔をしていた。
すっと細長く、品の良い、おとなしい形だった。

おばさんは、スーパーの白いビニール袋から、上品なクリーム色のスリッパを取り出して、パタパタと床に落とした。
慌てた様子でそれに足を突っ込むと、やみくもに駆け出そうとした。

「そっちじゃなくて反対側!突き当たりの階段を上って右!」
「ありがとう、英二くん、ごめんなさいね、ありがとう」

走りながら、後ろを振り向き振り向き、こちらに手を振る。

「おばさん、前見て、あぶないよ!」

そう言ったのに、何度も何度も、笑顔で振り向いた。


のんびりやなのに、あわてんぼうで。
きまじめで、かわいらしい。

あの人を、裏切れる訳がない。



☆☆☆☆



気が付いたら、そこは大石の部屋だった。

二人して床に転がったまま眠りこけていた。
俺は大石の胸と腕の間に頭を置いていた。

いつものように軽く飲んで店の前で別れるつもりだったのに、うっかり飲み過ぎた。
教育実習の最終日で、気持ちが緩んだのかもしれない。

俺は体育、大石は社会科の教育実習生として、母校の青学高等部に2週間通った。

就職活動を休んでの実習は、さながら別世界のようだった。
就職戦線からの逃避だろうか、俺は考えていた以上に実習にのめり込んだ。
一日の実習を終えると、大石や他の仲間と飲みに行くのも楽しみだった。


無邪気な寝息を立てて、胸が上下している。
頬を押しあてると、温かい肌の下で心臓が脈打っているのがわかった。

どれくらいそうしていただろうか。
体の温みと穏やかな鼓動を味わって、俺は我知らず甘い気分になってしまっていた。

自分の軽率な行動を悔いながら、足元に目をやった。


飲み過ぎて暑かったのか、脱ぎ散らかした靴下が丸くなって転がっていた。
10本の指先は、天に向かってすっと伸びている。

親指の爪に、小さな三日月が浮かんでいた。

立ち上がって、ベッドの上からタオルケットを剥いで、大石の体に被せた。
足の指だけがそこから覗いている。

開けっ放しの窓の縁に腰掛けて、母親そっくりの指を眺めた。

机の上に買い込んだビールが並んでいたが、新しい缶を開けても飲み切れそうになかった。
なんだか手持ちぶさただった。
煙草っていうものは、こういう時に吸うのだろう、なんてことを考えた。


窓の外を見上げると、空には三日月が懸かっていた。
鋭い切っ先を空に引っ掛けて、ぶら下がっている。

遠くから眺めている方がいい。

世の中にはたぶん、、そういうことは他にもたくさんあるのだろう。
俺がまだ知らないだけで。


明日からまた就職活動だ、そう思うとなんだか急に寒くなって、窓を閉めた。







「三日月」end

微妙な話ですみません
続くはずだったんですが…


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