LOVE PHOBIA (恋愛恐怖症)

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踏み込んだらどうなるのか。

また俺は焦がされてしまうのか。


俺は焦がれたいのか。

焦がれたくないのか。

…それとも、もう、焦がれているのか。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



もうすぐ、彼がやってくる。

キラキラと光を撒き散らしながら、ドアを押して入ってくる…。


英二先輩から、飲みに誘われた。
約一ヶ月ぶりのこと。
6月の終わりに二人で飲んだのも、この店だった。


俺の部屋で飲み直したら。
彼は相当に酔って、散々絡んだあげく、泣き出した。

彼がそうなる理由は察しがついたから。
抱き寄せて、頭を撫でて、キスして、「英二」って言った。

そしたら、彼の方から舌を絡めてきた。
ほてった体を押し付けられて、俺の方にも火が点いてしまった。


…だけど、別に、彼が好きとか、そういうことじゃない。
ただちょっと、触れてみたくなっただけだ。

俺だって、彼女がいるんだし。
それに、俺はまだ、あいつのことを、思い切れていなかった。



彼がドアを押して入って来た。
店中の視線が集まる。
相変わらず、人目を引く人だ。

「英二先輩!こっちです!」
俺が声をかけると、彼はうれしそうに笑って、片手をあげた。
うす暗い店の中で、彼の周りだけが、うっすらと光っているみたいに見えた。

白いTシャツに、ジーンズ。
シンプルで、仕立てがいい服。
体の線がきれいに出る服、それが彼のこだわりだと、長い付き合いの俺は、知っている。

なにしろ、昔は散々買い物に付き合わされたのだ。
俺から見れば同じに見える服を、何枚も並べてみては唸って、端から全部試着してみて…。

とにかく、今日の服のシンプルさは、彼自身の華やかさを引き立てていた。


俺は手を上げて、店員を呼んだ。
「生…」と言いかけたところで、彼が遮った。
「ウーロン茶、ひとつ。」

「飲まないんすか?」
「禁酒中〜。」
「まさか、あのこと、バレたんすか?…大石先輩に。」
「……。」

途端に、彼の顔は、どんな言い訳も白々しいほど真っ赤になっていた。
「…俺、なんか口走ってた?」
「いえ、何にも。」


俺が、気付いてないと思ってたんだ…。

二人の変化に気がついたのは、彼らが高等部を卒業した年の3月だから、もう1年以上前のことになる。

卒業式の、前の週の日曜日に、「追い出し試合」と称して、卒業生と在校生とで試合を行う。
試合の後は、会議室を借りて、懇親会をすることになっている。

その席上で気がついた。

大石先輩が話すのを、隣に座った英二先輩が見つめていた。
そして、英二先輩が話す時、大石先輩は、やはり同じように、見つめていた。

以前にもあった光景だけど、俺にはわかった。

眼差しの温度、といえばいいだろうか。
それが、それまでと違った。
もう、互いにはばかる必要がないのだと、主張しているかのように、その温度は、高かった。


なぁんだ、と俺は思った。
みんな、二人のコンビネーションは特別だと言ったけれど、その間に横たわっていたのは、ただの、恋だったんだ。

それにしても。
夏までは、そういうことにはなってなかった。
推測だけど。

そうすると、彼らは、ダブルスパートナーとしての6年間を全うして。
その後で。
友情を逸脱してしまった気持ちを、確認し合ったってことだ。

きれいすぎるじゃないか。
絵に描いたようじゃないか。

そう思って、俺は無性に腹が立ったんだ。


だから、俺は。
完璧な二人の間に割り込んで、壊してみたくなったのかもしれない。

あの夜、彼は、俺のことをあの人だと思っていたんだろう。
でも、俺は敢えて、行為の痕跡を残して、彼を狼狽させた。
先輩が誘ったんだ、と言ったら、彼の顔から血の気が引いた。

こんなの、よくあることだから、気にすることない。
二人の秘密にすればいい。
そう言うと、彼はほっとした顔でうなづいた。



「で、バレたんすか?バレてないんすか?」
「あっ。こっちの件は大丈夫。他のがバレちゃったけど〜。」
と言って、彼はアハハと笑った。

俺は口に含んだビールを吹き出しそうになった。

「何やってんすか、あんたって人は…。…あの人、潔癖そうだけど、大丈夫だったんですか?」
「まぁねぇ〜」

そう言って、うっとりと瞼を閉じた。
口許が、ゆるんでいる。

あぁ、聞くだけ野暮だった。
喧嘩の後のエッチがやたらに燃えるのは、俺も経験上、知っている。
浮気がバレた後というのも、きっと似たようなもんなんだろう。
しかし、さっきまで真っ赤になってたのに、開き直りやがったよ…。


それにしても、あの人は、英二先輩をよく放っておける、と感心する。
山奥の街へなんか引っ込んじゃって。
勉強ばっかりしてるらしい。
よっぽど自信があるんだな。

青学ならともかく、バンカラ大学の農学部になんていたら、人目を引いてしかたないだろうに。
本人が黙ってたって、誘惑は多いはずだ。


「結構エアコン効いてんのな。飲んでないと、寒い。」
と言いながら、かばんの中からパーカーを取り出した彼は、袖に手を通した。
右腕を通して、左腕を通して、最後に、両手でパーカーのフードを直した。

一連の動作は、指の先まで神経が行き届いた、きれいなものだった。
たぶん、初めは他人の目を意識していたものが、そのうち身についてしまって、無意識にこういう動作をするようになったのだ。


隣の席に目を遣ると、二人連れの女性客がいた。
話し声に耳を澄ますと、俺達に声をかけるのかけないのと、相談を始めたところだった。

ほうら、見たことか。
面倒くさいことになるぞ。


「英二先輩、俺、気になってる店があって、行ってみたいんすけど。」
「いいよ。じゃ次の店奢らせて。口止め料ってことで。」
と言いながらウィンクした。

だから…、そーゆーことはやめたほうがいいってのに…。

キラキラしてるものが、手に届く所にあったら、触れてみたいと思うのが人情というものだ。
誰だってそうだ。
それで、俺はあの夜、つい、手を伸ばしてしまったんだ。



「で、その店、どっち?」
「あれ、嘘です。隣のお姉様方に逆ナンされそうだったから、避難しました。先輩のためっすよ。」

「おぉ〜、気が利くな、桃城くんは!」
と言いながら、肩を組んできた。
空いた方の手で、髪の毛をくしゃっとされた。

この感じ、懐かしい。
あの頃は、まだ、あいつも、越前もいた。
うっかり、少しだけ、感傷的になりかけた。


あの追い出し試合の日、俺は、先輩たち二人に嫉妬したんだ。
俺は、あいつを諦めたのに、って…。

幼さにまかせて、突っ走った恋で。
ブレーキはぶっ壊れていて、飛び降りるしかなくて。

自業自得だった。
自分で納得して、終わらせたはずだった。

俺達は、お互いしか見えなくて。
ただ夢中で、互いに相手を、窒息寸前まで追い詰めてしまった。
でも、想いの熱さだけは、それだけは、少しの偽りも、なかった。



「…今度バレたら捨てられちゃうからなぁ。」
「捨てられるなんて、ないと思いますけど…。」

「あいつ、堅物だもん。もう、次は、ないよ。」
確かに、あの人には、「浮気」なんて言葉すら似合わない。

「そしたら、あいつを殺して俺も死ぬー。」
「ちょっ…、冗談でもやめてくださいよ〜。」

「だって、あいつでなきゃだめなんだ、どうしても。…今、だったら浮気すんなよ、って思ったろ?」
「そりゃ、思いますよ。」

「だいたいさー、あいつが一緒にいないから、いけないんだよ。」
「今度は、逆切れっすか…。」

…結局、のろけたいだけじゃないか。
彼の想いは、怖いくらいに激しくて熱くて。
一人では、その熱を持て余してしまうんだ。

そうなんだ。
彼は、ただキラキラした、綺麗なだけの人じゃなくて。
彼がキラキラしていて、あったかいのは、心の内に焔を持っているからなんだ。

光につられて安易に近付けば、逆にこっちの方が、ゆらゆら燃える焔に、身も心も焼き尽くされてしまう。
だから、俺は、これ以上踏み込まない。
俺はもう、誰かに焦がれるのは、怖いんだ。


…本当に、踏み込まないで、いられるだろうか。
俺は、もう一度、あいつみたいな熱に、浮かされたいんじゃないだろうか。

でも、俺は、いつまでも彼の「後輩」で、いい。
もしかしたら、たまにキラキラに触りたくなるかもしれないけど…。


「あっ、もも〜。この店どう?」
「いーっすね。」

横顔の、睫毛の先に、目が吸い寄せられた。

まばたきの度に、キラキラと光が零れ落ちている。
その、ひとつひとつを、掬いあげたくて。

本人は高くないことを気にしている、かわいい鼻に、触れたくて。

何か言いたげに、少し開いたくちびるが、俺を誘惑する。


…だけど、あの人にバレないように、俺ならうまくやれるから。
さみしい時は、また、俺の所に来ればいい。
そう、彼に告げたくなった。


俺は、たぶん、生涯あいつを忘れることはできないけれど。

それとは別に、新しい想いが芽生えつつあるのを自覚した。

肌を合わせた時から、俺は、もう踏み込んでしまっていたのかもしれない。


彼が先に立って、地下の店への階段を下りていった。

呆けていた俺も、慌てて跡を追った。

香水に混じった、彼の匂いを探しながら。


end


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