恋の病
放課後の、数学準備室。
卒業試験の山賭けに失敗した俺は、卒業式までの約2週間、放課後をここで過ごすことになった。
道連れは、大石。
指名したのは、スミレちゃん。
一蓮托生の連帯責任で、ダブルスの相棒は放課後を犠牲にすることになった。
大石は意外なことに、数学が得意でないと言う。
そのせいか、逆に教え方はうまかった。
俺のわからないところがちゃんとわかるみたいだったから、
「数学の先生になれば?」
と言ったら、ただ笑っていた。
コンコン。
数学準備室の扉がかわいらしい音を立てた。
「はい」
と大石が答えたら、小柄な女の子が顔をのぞかせた。
「すみません、大石先輩にお話があるんですが…」
告白だ。
季節ものですねえ。
そう思って成り行きを見守った。
「今とり込み中だから。時間を改めてもらえる?」
「ごめんなさい…。でも、ちょっとでいいんです」
女の子は食い下がったが、大石は無視を決め込んだようだった。
あきらめた彼女は、静かに扉を閉めた。
「行ってやんなよ。こっちはいーからさ」
「行く必要ないよ」
「かわいそーじゃん。せっかくこんなとこまで追いかけてきたってのに」
「こんなとこまで来たから嫌なんだよ」
「大石って意外とつめたいのねん」
「なんでそういうこと言うんだ」
あ、泣く、と思った。
大石は泣きそうな顔になった。
なんで、こんなことで、そんな顔になるんだ。
大石は、らしくない動作で自分の持ち物を鞄にぶち込むと、荒々しい音をさせてパイプ椅子から立ち上がった。
「今日はもう終わりだ。それ全部一人でやるんだぞ」
「…大石、なんか、変だよ…」
「変だよ、俺は。病気なんだから」
「…はあ?」
部屋から出ていく大石を、俺はあっけにとられて見送った。
変な大石。
病気だってさ。
そうかもね。
勝手にしやがれだっつーの。
そう思ったけど、数学の課題はめっきりはかどらなくなって。
まあ、大石先生がいなくなったから、当然なんだけど。
仕方ないから、スミレちゃんに泣きついて、今日のところは終わらせてもらった。
明日、今日の分もやるってことで。
それからうちへ帰っても、大石の泣きそうな顔が頭にちらついて離れなかった。
あの顔、前にも一度、見たことがあるかもしれない。
一度だろうか、二度?
いや、何度も…。
「おおいし」
ノートに書いたその四文字を眺めていると、「お」の字が溶け出して流れそうになって見える。
そうしてぐるぐると渦を巻く。
「お」って、こんな字だったっけ。
俺は、「お」の字をどこからどうやって書いたらいいか、わからなくなった。
俺も、変だ。
『大石の病気、うつるみたいね。どうしてくれんの』
メールを送って10分後、返信が来た。
『窓あけて』
一言だけのメールに泡食って立ち上がり、窓を開けた。
見下ろせば、自転車にまたがった大石が、肩で大きく息をしてそこにいた。
どんだけ、急いだんだよ。
笑いたかったが、笑えなかった。
あの、泣きそうな顔で大石はそこにいた。
俺も、いま、同じ顔をしているんだろうか。
この病気は、二人でいれば治るのか。
それとも、もっと重くなるのか。
一歩すすめばわかる。
膝がふるえていた。
「恋の病」 end
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