かなしみの名前

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はちみつを紅茶に入れると、紅茶の色が濁ってしまうのだそうだ。
そもそも、俺は、そんなことすら知らなかった。

英二が不二にもらったはちみつは、紅茶愛好家向けに作られたものだという。
紅茶に入れても、赤くて透明感のある、紅茶本来の色が保たれる。
そのはちみつのおかげで、朝起きてお湯を沸かすのがとても楽しみになったと、彼はうれしそうに言った。

天気のいい朝は、特別いいんだ。
紅茶をガラス製のカップに注ぐと、お日さまの光を受けて、とてもキレイ。
そこに、そのはちみつを入れても、赤い色はそのままで、それを陽に透かして見るとき、ほんとにほんとに、幸せな気分になるんだよ。

英二は、不二と同じクラスになって、ずいぶん印象が変わった。
入学当初につるんでいたやつらと一緒にいることは、今ではほとんどなくなった。

不二と連れ立って行動し、不二のすすめる本を読み、こうしてうれしそうに、不二がくれた「いいもの」の話をする。
それにともなって、以前あったような、いくぶん乱暴な言動は、影を潜めた。

英二は、周囲の影響を受けやすい性格だ。
不二によって、彼の本来持っていた性質が強められたのだろう、と思う。

「英二は不二のことが大好きなんだな。」
俺が思わず口にした言葉に、彼は、答えともつかない答えをくれた。
「不二はいっつも言うよ、『英二は大石の話ばかりするんだね』って。」

俺は、思ってもみなかった答えにとまどって、何も言えなかった。


「二人は特別だから。大五郎のこと、笑わなかったの、二人だけだから。」

英二がいまだに、クマのぬいぐるみに愛着を持って扱っていることを知って、俺が驚かなかったかというと嘘になる。
しかし、その驚きは、むしろ、感嘆に近いものだった。

そのころ、英二はまだ、ガキ大将という形容がぴったりだった。
だけど、俺は、そんな彼の中に思いがけない優しさと繊細さを見つけた。

自分が忘れてしまった、あるいは、昔に置いてきたものを、彼はまだ大切に心に育てていた。
その時の驚きを、俺は思い出していた。


「みんな笑ってさー、大人みたいなことゆーんだもん。いやんなっちゃうよな。」
そう言って、また、俺の方を見て笑った。

ちがうんだ。
俺は。

俺も、君が嫌いな大人なんだ。
だからこそ、砂漠に泉を見つけたように、君を知ったことを喜んだ。

そう思ったけど、俺は何も言えなかった。
なんだか胸がいっぱいになってしまったから。

俺が君よりも、ずいぶん先に大人になってしまったことも。
君にいつまでも子どもの心を持っていてほしいと思うことも。
なにもかも。
とても、とてもかなしいことのように、思えたから。


そして、そのかなしみの名前は、恋というのだと、俺はそのときまだ知らなかったから…。


end
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