ジャスミン_プリマヴェーラ

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大石と英二が中学二年に上がり、最初の中間テストの直前のことだった。
テスト前で部活動が全面禁止になったので、大石は英二と二人で帰宅の途についた。

話の内容は、最初から最後まで部活のことだった。
いや、そうなるはずだった。


「大石!おーいしってば!」

すぐ隣を歩いていたはずの英二の声が、遙か後ろの方から聞こえる。
大石が振り返ると、英二が電信柱の陰から顔を出している。
そして、大石の方に向かって笑顔で手招きをしているのだった。

「こっちから帰ろうよ!」

英二は、家の方向とは反対の道を指している。

「近道、・・・じゃなさそうだな?」

大石は苦笑しつつ、英二の後を追った。

「近道じゃないけど、いいところだから、安心して!」

本当に安心できれば苦労はないのだが、と大石は思う。
英二の突飛な思いつきや行動には、いつになっても慣れそうにない。
けれども、そう思いつつも、大石は、英二のそういうところが決して嫌いなわけではないのだった。

「楽しみだな」
「・・・うっそぉ。大石、顔ひきつってるよぉ」
「えっ」

そう指摘されて、大石は思わず自分の顔に手をやった。
大石のそれまでの友人たちとは、英二はタイプが大きく異なっていた。
慣れないだけなんだけどな、と大石は思う。

「絶対、いいところだから。安心してよ」

英二は大石の腕を掴んで、ぐいと引き寄せた。
あっ、と大石は口に出しそうになった。
英二はそのまま歩き出し、二人は腕を組んで歩いている格好になった。

「え、英二。まずいよ・・・」
「なにが?」
「こんなところ見られたら、誰に何て言われるか・・・」
「そう?」

英二はきょとんとした顔になり、大石の腕に絡めた自分の腕をぱっと離した。
英二の腕が離れると、大石の腕は火照ったように熱くなっていた。

「きょ、今日は、やけに暑いな」
「そうかにゃー?はやく行こうよ!」

英二が駆け出したので、大石も仕方なくそれについて駆けた。

このあたりの土地はわずかに傾斜があるために、曲がり角が曲線を描いている。
幾度も角を曲がると、ある一カ所を中心にぐるぐると回っているような錯覚に陥った。

時々、後ろを振り返りながら、はやくはやくと英二は大石をせかす。
赤毛のくせっ毛がぴょこぴょこと跳ねる。

大した距離を走ったわけでもないのに、大石は息を切らしていた。
部活ではもっと長い距離を走っているのに、おかしいなと感じた。

「英二・・・」
「大丈夫だって!あ、ほら。大石、わかる?」

英二は突然立ち止まり、瞳を閉じて、すうと息を大きく吸い込んだ。

「え?」
「いい香り、するだろう?」

言われた通りに息を吸い込むと、微かな香りが大石の鼻腔をくすぐった。
甘くて、爽やかな香りだ。
花の香りだろうか。

「あの角を曲がると・・・」

言うが早いか、英二は駆けだした。
大石も思わず、英二について駆けた。
脈拍がやけに上がっているのがわかったが、構わず走った。

マンションの角を曲がると、そこは香りで満たされた空間だった。
大石の目の前には、四方に蔦が絡まった古いビルがあった。
英二は、ビルの手前の駐車場を横切って、ビルへと近付いて行く。
大石は英二の後を追った。
芳わしい香りに、大石はうっとりと夢見心地になった。

ビルに近寄って行くと、蔦の一部に小さな白い花々が絡まっているとわかった。
香りの正体はこれであったかと、大石にもようやく合点がいった。
大石はその花に顔を近付けて、息を吸い込んだ。

隣りを窺うと、英二も同じように花に顔を近づけていた。
英二の小さな鼻の先が、ひくんと動いた。
大石の心臓は、どきりと一つ大きく打った。

「な?ホントにいいところだったろう?」
「うん・・・」

大石は香りに恍惚としつつ、再び英二の方を見遣った。
英二は、閉じていたまぶたをゆっくりと開いて、ぱちぱちまばたきした。
それから、大石を見てにっこり笑った。
大石の脈拍は、ますます上昇した。

「大石、変なの。顔、赤いよ」
「そ、そう・・・?」

「この花、ジャスミンって言うんだって」
「ジャスミン?」

有名な花なのだろう、その名は大石でも聞いたことがあった。

「うん。不二が教えてくれたんだ。この花のお茶もね、おいしいんだよ」

大石は、熱を持った体が途端に冷えて行くのを感じた。
英二がこの場所に案内したのは、自分が最初というわけではなかったのだ。

「この場所・・・」
「え?」
「秘密にできないのかな」
「どうして?」
「いいところだから・・・他の人に知られたくないだろう?」
「・・・ふうん。いいよ、大石がそう言うなら」

英二はあっさりと、大石の申し出を承諾した。
そうして、もう一度花に顔を近づけて、うっとりした表情で香りをかいだ。

英二の、少し伏せた睫毛を、大石は見つめた。

くだらない独占欲だ。
大石は、自分の発言を恥じた。

自分にそうした感情があることを、大石はそれまで知らなかった。
適度に裕福な、それでいて躾の厳しい家庭で育ってきた。
欲しいものはたいてい、少しの間辛抱すればその褒美として与えられた。

けれども、今、目前にあるのものは、少しくらい辛抱したとしても手に入るとは思えなかった。
だから、これでよかったのだ、と大石は自分を納得させた。

英二の睫毛の下には、そばかすが散っていた。
無邪気に踊っているようなそばかすを眺めて、大石は静かに満足した。




☆☆☆☆☆☆




英二の瞳の下には、かつて確かにそばかすがあった。
それがなくなったのは、いつ頃のことだったのか。
いくら記憶を繰ってみても、はっきりとは思い出せない。

相変わらず大きな瞳の下に、今、それはない。
俺を見上げるその瞳は、涙が流れ出る寸前のように潤んでいる。
セックスの最中はいつもそうだ。

英二の腹の上に半透明の白い液体を吐き出して、荒れた息を整える。

男とは、実にくだらない生き物だ。
その内側は、征服欲に満ちている。

「すごい量」

英二は仰向けの姿勢のままで、自分の腹を撫でる。

「一人でしなかったの?」

笑いながら、ボクサーパンツの中に手を入れて、自分のものを引き出した。

「俺もしたくなっちゃったよ・・・」

俺の吐き出した半透明の液体を、英二は自分のそれに塗りたくり、しごき始めた。

「・・・はぁ・・・はっ・・・」

もどかしそうに、脚をベッドのシーツに擦りつける。
溺れているみたいに、シーツの波の間で英二はもがく。
眉を顰めて苦しそうに、もがく。
俺のベッドのシーツの上で。
いや、もうすぐ二人のベッドになるのだ。

俺は、その様子を陶然と見下ろしながら、英二の脚を撫でる。
愛しい人が我を忘れて快楽に没頭する様ほど、美しいものはない。
かつてそばかすが散っていた無邪気な頬に、淫らな紅が射していく。

英二は元々童顔で派手な印象の顔立ちだが、黙っていればそれなりに大人の男らしく見えるようになった。
それがここ10年ばかりの、もっとも大きな変化だろう。

「・・・いけそう?」
「んっ・・・はぁ・・・はぁ・・・あっっ・・・!」

勢いよく飛び出した精液が、英二の腹の上の方にかかった。

「・・・いけた。なんか、あっさり・・・」

息を整えている英二の傍らに横たわり、腹の上を撫でる。

「こんなところまで飛んでる・・・」

みぞおちの辺りまで飛び散った精液を指に取り、乳首に塗りたくり愛撫する。

「・・・ちょっ!・・・まだしたいの?」

英二は俺の手を取り、たしなめるような口調でくちびるをとがらせる。

「したいよ・・・ダメなの?」
「ダメじゃないけど・・・大石、お風呂も使わせてくれないんだもん」
「・・・そうだった。ごめん」

来月にはこの部屋に英二も越してきて、いよいよ二人の共同生活が始まることになる。
今日は、新しい家具を入れたからと英二を招き入れたのだ。
ところが、俺は部屋に上がるや否や、致したくなってしまったというわけだ。

「なんか、あった?」

英二は俺の乱れた前髪をかきあげて、額に軽くキスをくれた。
何かあったと言えば、思い当たることはあれしかない。

俺は立ち上がり、部屋の隅に投げ出した鞄から、小箱を取り出した。
薄紫色の化粧箱に、若草色の細いリボンが巻かれている。

「なあに、それ?」

英二は、腹の上をタオルで拭きながら、体を起こした。

俺はリボンを解き、箱を開け、小さな香水瓶を取り出す。
小振りのガラス瓶だが、その表面の彫刻は驚くほど繊細だ。

「香水・・・?まさか俺にっていうんじゃないよね?」

英二はプッと吹き出した。
一見して明らかに女ものの香水である。
当然の反応だろう。

「いや、俺用、っていうか・・・」
「ええ!?」

驚愕のまなざしで、英二が俺を凝視する。

「ご、誤解しないでくれ。つけるわけじゃなくて、なんていうか、ルームフレグランス?、あれみたいに使おうと・・・」

しどろもどろで言い訳する俺。
まなざしに疑惑の色が強まる英二。

仕方なしに、香水瓶の蓋をはずし、宙に向けてシュッと一拭きした。
爽やかで、それでいて微かに甘さのある花の香りが広がる。
外はまだ冬でも、部屋の中には春が訪れたようだ。

「あ・・・これって・・・」

英二の鼻が、ひくんと動いた気がした。
あの頃のようにかわいらしい低い鼻では、もうないけれど。

「うん。ジャスミン。懐かしくて・・・」

出張帰り、空港の免税店で偶然手に取った商品だった。
香りというものは不思議で、ひとたび嗅げば記憶は遙か10年をあっと言う間に遡った。

指を伸ばしても、手の中に握っても、指の間をすり抜けて行ってしまいそうだった。
テニスに興味を持ったのも、俺に興味を持ったのも、きっとほんの気紛れに過ぎなかったろう。

ささいなきっかけを、俺は必死でものにした。
そうでなければ、きっと手に入らなかっただろう。


「ホント、懐かしいな。あのビル、今も変わってないんだよ」

英二は立ち上がり、俺の手の中の香水瓶を取り上げ、カーテンの隙間から射す陽の光に透かした。

「・・・ジャスミンっていえば、不二にもらったんだった!お茶、すごく美味しいんだよ・・・」

英二は、持って来ればよかったと言って悔しがっている。

それを見ても聞いても、かつてのような嫉妬心は沸かなかった。
それどころか、かえって安らかな気分になるほどだった。

「・・・うん。早く飲んでみたいな」

俺の返事を聞いて、英二はにっこりと微笑んだ。

この10年で一番変わったのは、自分自身なのかもしれない。

ことり、と英二が香水瓶を机の上に置いた。
英二の指が俺の肌を探り、唇が唇をついばんだ。



「ジャスミン_プリマヴェーラ(春)」end

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