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● プロポーズは突然に  ●


「乾杯しようか」
「うん!えっと、初任給に?」

「乾杯!」
チンとグラスを合わせ、喉の奥にシャンパンを注ぐ。

「これ、美味し…」
英二が驚いた表情で、グラスの中の液体を覗きこむ。

「だろう?」
「…高そうだけど、大丈夫?」

英二が声を潜めて、大石の方へと体を傾ける。

「うん、まあ…ちょっと無理したかも…でも今日は美味しいもの食べようって約束したろう?」
「そうだけどさあ…」

確かに、大石は少々の無理をした。

老舗ホテルの最上階、フレンチレストランの窓際の席を確保した。
窓の外には美しい夜景が広がっている。
調度品は落ち着いた趣味で統一され、スタッフが提供する周到なサービスには定評がある。
ここを紹介してくれたのは父で、店内を見回せば20代の客は自分たちだけである。

大石は大学在学中から税理士試験を受け始めたが、卒業までに全科目合格ができず、父の事務所を手伝いながらさらに1年勉強した。
そして全科目合格を果たした今年、業界では名の知れた大手の事務所に就職できた。

一方の英二はというと、高校を卒業後、美容専門学校に進学し国家試験に合格。
憧れの代官山の美容室にフロントスタッフから入り、翌年からはカットをさせてもらえるようになっている。
意外に手堅い道を進んでいる英二は、既に社会人4年目に入った。

英二が働きだしてからは、外食時の会計は彼が持ってくれることが増えていた。
大石としては、仕方のないこととはいえ非常に不本意であったのだ。

というわけで、本日である。
男として、(相手も男だが)、ここはバシッと決めたいわけである。

「まあ、いいか。どうせ大石のおごりだしねー。この『プリプリ海老のタルト』も最高♪」
おどけた表情で片目をつぶると、英二はぐいとグラスを傾けてシャンパンを飲みほした。


それでいいのだ。
お金の心配など、英二がしなくてもいい。
大石は思った。

大石は、そこそこ裕福な家庭でおっとりと育ったためか、貧乏くさいことが嫌いであった。
普段から贅沢は決してしない、むしろ周りから見れば慎ましいとさえ映る彼であったが、その実、いざというときは出し惜しみを嫌った。
そのため学生時代からアルバイトをしていたものの、いまだ貯金はゼロであった。

大石はこういう自分の性分を決して嫌いではなかったが、一方でそろそろ改めなければとも考えていた。
やっと就職でき、二人の将来を考えなければならない時が来たと思っていたのである。


「ところで、初任給っていくらくらいなの?」

あけすけな英二の問い。
しかし大石はそんなことに怯む男ではない、むしろその上を行っている。

「これが明細」
と、うす水色の紙を差し出す。

「まじ?見ていいってこと?」
「もちろん」

悠然とうなずき、英二に二つ折りにされたその紙を開くように促す。
大石としては、二人の間では金銭的なこともオープンにしたいと思っていた。
一緒に暮らしたその日にはどちらが家計管理を担当するかわからないが、その日のためにも。

「おっ。結構…。あれ?なんかいっぱい引かれてんねー…」
「普通だろ?」

天引きなんてどこの会社も変わりあるまいと、大石は首をかしげる。

「地方税とか…」

都民税に区民税、それはどこの会社でも天引きのはずだが…
いやまてよ、と大石は思う。

「英二、社会保険入ってる?」
「なにそれ?」
「ほら、そこの明細にあるだろ?」
「あ、このガッポリ引かれてるやつ?」
「そう。もしかして、英二の店はそれに入ってないんじゃないかな」
「うーん。わかんないけどそうなのかな…」

年金崩壊、と言われるこの時代。
そんなものはあてにならないと言われるかもしれない。
しかし国民年金だけでは、老後の生活は容易ではないと大石は日ごろから思っていた。
だれかの扶養家族になってしまえばまた別だが…

英二は明細に目を落とし、考え込んでいる。

「英二」
「ん?」

「結婚しよう」
「はあ!?」

となりのテーブルの熟年夫婦が会話をやめ、子羊のポアレを見つめて固まった。

二人の後ろに控えていたスタッフは、いつの間にかその場から姿を消していた。
さすが周到なサービスを誇るだけのことはある。

英二はけげんな表情で、大石を見つめ返した。
どういう思考回路で只今の言葉に至ったのか、理解に苦しむ英二であった。
しかし、相手はあくまで真剣である。

法律上は扶養家族にできないが、英二の老後は俺が看る!
と大石は思っていたが、そこはなんとなくロマンチックではないので口には出さず心にとどめた。
しかし、その覚悟には一点の曇りもない。

大石の揺らぎのない表情に、英二の頬が緩んだ。

「なんか突然だけど、ま、いいか。いいよん!待ってましただっつーの!」

大石はほっとして、こちらも頬が緩む。

テーブルの角に置かれた大石の手に、英二の手が重なる。
大石はそれを捉えて、組み直す。

大石は考えていた。
大手の事務所に就職したが、ここはあくまで修業の場、せいぜい10年の勤務のつもりだった。
その後は父の事務所を大きくしたいと思っていたのである。
しかし、父の事務所は個人事業、会社組織の一員として働くのとでは福利厚生の面で大きな隔たりがある。

このまま今の事務所にいるのもよし、さらに大手に転職というのもいいかもしれない…。
やりがいのある仕事というのも、愛する人との安定した生活があって初めて実現するのだ。
大石は若くして、その辺は悟っていた。


指と指を絡めて、睦み合う二人。

貯金はないが男気だけは人一倍の大石。
なんだかよくわかんないけど大石カワイイ!と思う英二。

面白いネタを仕入れた、明日部下の女子社員に話して聞かせればウケるだろうとほくそ笑む熟年夫婦の夫。
今日は結婚記念日だけどロマンチックな一言もないこの夫、あっちのおかしな髪型のお兄さんの方がよっぽど素敵、ホモだけど、と思う妻。

そして、この若く仲睦まじいカップルが男女であったならば、どんなに微笑ましい光景であったろうと頭を抱えるレストラン支配人。


それぞれの思いを乗せて、美しい夜景を見下ろすレストランの夜は更けていくのであった。







「プロポーズは突然に」end

くだらなくてすみません!
最後までよんでいただきありがとうございました。
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