Happiness is finally getting the sliver out.

LIST




いたい。
いたいよ。

とげがささってる。
どうしても、どうやっても、ぬけないよ。

いたくて、もどかしくて、なみだがでそうだよ。



からだの奥の方に、とげが刺さっていた。
いつ刺さったのか、今となってはわからない。

いまでは、刺さっていることを意識することすら、なくなっていた。
もう、体の一部になりつつあったのだ。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


練習が終わり、俺は、倉庫の鍵当番の仕事を終えてから、部室へ戻った。

中等部と違い、倉庫と部室の鍵の管理は持ち回りだった。
鍵当番が掃除当番も兼ねるという形で、これはこれで合理的だった。


「…まさかぁ。」
「ほんとなら、俺、ショックかもー。」
「なんで。お前全然関係ないだろ。」
「だってさぁ。」

…なんの話だろう。
さっきから、4年生の一部の部員が、噂話に花を咲かせているようだった。


「俺が聞いてくる。」
そう言った一人が、部室の奥へと歩みを進めた。
桃城だった。

そして、部屋の奥のベンチに座っている英二に声をかけた。
桃城の顔は全く見えなかったが、英二は終始笑顔で、幾分いたずらな表情に見えた。
…一体、何の話だろうか。

桃城は、こちらへ戻って来ると、テニスバッグを手に取って部室を出て行ってしまった。
怒りで固い顔をして、周りの問い掛けを無視して。

噂をしていた4年の連中も、俺も、思わず英二の方を見た。
英二は、きょとんとした表情でこちらを見返すと、ばつの悪そうな笑いを浮かべた。


すぐ横にいた4年生に尋ねた。
「さっき噂してたの、なんの話?」
「英二先輩が山本先輩と別れたって話です。」

…あの二人が?
にわかには、信じがたかった。
でも、なんで桃があんなに怒るんだ。

「お前ら、早く帰れ。俺が英二に話聞いておくから。」
噂をしていた4年生を、急かして着替えさせ、帰らせた。
それから、英二に話を聞いた。


「桃、ずいぶん怒っていたようだけど。」
「なんでだろー。」
「俺がそれを聞きたいんだ。英二、なんて言ったの。」
「おせっかいだな。」
「聞いちゃ、だめなのか。」

見つめあって、英二がふっと目を逸らした。
「わかったよー。話しまぁす。」


話は非常に簡単だった。
内容の是非はともかくとして。

英二と山本さんは、4年生のはじめに、1年間の約束で付き合うふりを始めた。
5年生になり、1年たったから、付き合うふりはやめたけど、みんな、気がつかなかった。
今回、山本さんに彼氏ができたので、英二と別れたのだと今ごろ噂になっている、ということだった。


その頃、二人が付き合うという話は、青学生の間でかなりの波紋を呼んだ。
二人とも、アイドル的存在といえば大袈裟だけど、想っている生徒は多かったから。

だけど、二人が並んだ姿を見たら、誰も文句を言えなくなってしまったのだ。
わざわざあつらえた陶器の対の置物のように、端正で完璧だったから。
あっという間に公認カップルとなってしまい、二人の間に割り込もうとする者は、誰もいなかった。


でも、それは、嘘だった。
二人に騙されていた…。

俺は、なんだか、血の気が引いていく感じがしていた。

俺が怒る権利なんて、どこにもない。
だけど、騙されていたという事実は、俺を平静でいられなくした。


俺の顔色を見て、英二が焦って補足した。
「ふざけたとかじゃないんだよ。クラスがまとまるきっかけを作ろうって計画だったんだ。山本さんは委員長のこと、前から好きで助けたいと思ってて…。担任も苦労してたし…。」

英二は、次の言葉を言うか言うまいか逡巡していた。



「よくまぁ、これだけ長いこと、みんなを騙しおおせたものだよね。」
不二の声で、我に帰った。

「でも、僕は知ってた。最初からわかってたよ。」
そう言うと、俺の顔と英二の顔を交互に見た。

それから、不二は英二に、にっこりと笑いかけた。
英二も、うれしそうに不二を見つめ返していた。
なんなんだ、この二人は、相変わらず…。


「さすが不二。理屈じゃないな。」
今度は乾だった。

「しかし、データだって、確実に真実をあぶり出す。俺が確信を得たのは去年の10月だから、半年もかかってしまったがね。」


この二人は、英二の嘘にとっくに気付いていたんだ…。

「どうして大石は気付かないんだろうね…。」
不二が意味ありげな目線を投げ掛けてきた。

俺を、お前らと一緒にするなよな…。
と、思ったが、こちらもやましいところがあるので、思わず目を逸らした。


援軍に力を得た英二が、反撃を開始した。
「そーだぞー。相棒!薫ちゃんだって気付いてたのにさ。」

「海堂が!?」
「そーだよ。直接聞かれたから、教えてあげた。結構前の話だよ。」

「海堂が、他人の恋路に関心があるとはな…。」
若干一名、本論から興味が外れつつあるようだった。


…俺は、後輩以下か。
不二がほのめかしたように、俺は真実が見えなくなってたんだ。

それは、きっと、英二を好きなあまり。
目を凝らしてよく見れば、真実は目の前にあったのだろう。


「相棒の嘘を見抜けなかったおーいし君は、罰として部室の掃除をしなさーい。俺と一緒に。」
いかにも楽しそうに笑いながら、英二が言った。

「掃除…?今週は4年の番だろ?」
「だって、桃、当番なのに帰っちゃったもん。なんかさ、早く帰りたかったみたい。デートかな。」


ぽかん、として英二の顔を見返した。
「桃は…。」
「あいつが気付かないわけないじゃない。サボリに先輩を利用するなんて、ホントくせ者だよなー。」

…なんだって…?
拍子ぬけとはこのことだ。
微かにくすぶっていた怒りも、毒気が抜けたみたいにおさまっていった。


それはともかく。
俺は自分の体の変化に気がついていた。
のどの奥に刺さった、魚の小骨のようなものが、跡形もなく、無くなっていた。

…ああ、俺、いやだったんだ。
英二が女の子と付き合うのなんて、別に構わないと思ってたのに。
あんなの、ただの強がりだったんだ…。


二人で掃除を始めると、残っていた部員も帰っていった。
二人きりで密室にいたら緊張しそうなので、早く終えようと思っていた。

だけど、英二が次から次へと他愛のない話をして、俺を笑わせたり、感心させたりするから、気がつくと1時間近くも経っていた。
慌てて、部室に鍵をかけ、二人で体育教官室へと鍵を返しに向かった。


校舎に入ると、夜の教室は真っ暗で、節電のために廊下の電気もところどころ消えていた。
さみしいような、心細いような気分になった。


6年生の教室の前を通ったとき、英二が尋ねた。

「進路調査表、国立って書いた?私立?」
「国立。できたらさ、そっちの方がいいだろ。学費がね。」
「そっか。医学部だもんなー。じゃ、来年も違うクラスだな、たぶん。」
「んー。たぶん。そうだろうな。」


「神様は、いじわるだなー…。」
英二のその言葉に、足が止まってしまった。


気がつくと、教官室の前に立った彼が、苦笑いを浮かべて俺に向かって手招きしていた。

彼は、体育教官室に自分から入るのがいやなのだ。
中等部の頃から変わっていない。
いつも、俺を先に行かせた。


早く来て、開けてよ、という意で、彼は扉を指差していた。

だから、俺は駆け出した。

暗い廊下の突き当たり、教官室から、蛍光灯のうすぼんやりとした白い光が漏れ出ていた。




end


LIST