Happiness is knowing who you are.

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そうなんだ、やっぱり。

いのちは、人間は、はじめから、そういう風に作られているんだ。

だから、俺が、あいつを好きになるのは、しかたがないことだ。



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授業のなかほどで、担任は、ある花の形を黒板に書いた。
その花のめしべは、おしべよりもはるかにはるかに長く、その先を伸ばしている。

なぜか。
その問いの、答え自体は簡単だ。

めしべは、自分の花の花粉が、欲しくないのだ。
より強い遺伝子を残すために、自家授粉はしたくない。
他の花の花粉が必要なのだ。


生命体はすべて、他者の助けなしには完結できないように創造されている。

いのちはそれ自身の中に欠如を抱き、それを他者から満たしてもらう。

ひとりでは、うまく、生きていけないように、運命づけられているのだ。


君たちが誰かと友情を結んだり、恋をしたりすることも、そういう、いのちの仕組みの一つ、とも言えるよね。

この話、ある人の受け売りだけどね。
と言って、彼は笑った。


うちのクラスの担任、いっちーこと、一柳先生の生物の授業が、俺は大好きだった。
教科書の内容をなぞるような、無味乾燥なものではなく、時に哲学的で、時に人生の真理や恋愛論について語ってくれる。
彼の人間性が滲み出るているような、そんな授業が好きだった。


いつも、俺が考えていたこと。
それが、きちんとした言葉に整えられて、目の前に置かれたような感じ。

世界を構成する真理のひとつひとつが、明らかになる。
ジグソーパズルのピースが、だんだんと揃っていく感じ。

そうして、世界のありようが、いのちのありようが、俺の目の前に開けてゆく。
その感じが大好きだった。


そうなんだ。
俺は、それこそ、欠如だらけで。
いつも、それを、あいつが、大石が補ってくれるんだ。

あいつだって、ほんとは何でも、うまくできちゃうはずなのに。
時々、立ち止まって、考え込んで、同じところをぐるぐる回り出したりするんだ。

だから、俺が、名前を呼んでやると、びっくりして。
そして、ほっとした顔をして、笑うんだ…。


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俺は、その日の日直だった。
それで、日直日誌の「授業の様子」という項目の、「生物」の欄にこう書いた。
いっちーの授業大好き。いっちー大好き。

書いてみて、痛すぎることに驚いて、笑ってしまった。
これじゃあ、いっちーファンの女子と変わらないじゃないか。

でも、まぁ、いいか。
本当のことだし。


日誌を渡すため、理科教官室に行った。
彼は、なんだか機嫌が悪いみたいだった。

今、テスト作ってるから、入ってくるな。
それだけ言って、教官室の入口まで歩いてきた。

ずいぶん自分勝手な言い草だ。
まだ、テスト1週間前じゃないから、入室禁止じゃないのに。

しかも、なんだか感じが悪い。
日直ご苦労とかお疲れ様とか、そういう言葉はないわけね。

俺は、わざとらしく頬を膨らませて怒りを表明した。
それから、日誌を押し付けて帰ってきた。


階段を上りながら、思った。
彼は、きっと今頃、日誌を開いて後悔している。
もうちょっと、優しく接してやってもよかった、って。
いい気味だー、と一人で笑った。


踊り場の窓から空を見上げた。
放課後だっていうのに、昼間みたいな空だ。
夜のない国に来たのかな、って錯覚を起こす。


今日は、一年のうちで、一番昼が長い日。
これから、本格的に夏が始まる。

もうすぐ、一年になるんだ。

俺が、あいつを好きだと気がついて。

毎年、夏が来る度に、俺は、きっとこんな風に思い出す。

別に、切なくはなかった。

たぶん、叶わない恋なのに。

不思議だな。


きっと、恋を通して、俺は、いろんなことを知ったからだ。

人は、人と深く関わって、初めて、自分がどういう人間かわかるんだから。
って、これ、担任の受け売りじゃん。

俺、相当、洗脳されてきてる、と苦笑した。

そういえば、中等部の頃は、こうして楽しみにしている授業は、体育以外にはなかった。

担任のことばは、俺がいろんなことに気付くための、助けを与えてくれている。

俺も、いつかは、そういうことができる人になれるといい。
そう、思った。


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この時、俺は、まだ、気付かなかった。

ずっと探していたことが、もう視界の中に入っていることに。

それに気付くには、ちょうど、あと半年の月日が必要だったのだ。



end


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