ふたりでいれば、大丈夫。
ひとりではできないことも。
わからないことも。
ふたりなら、なんとかなる。
だから、ふたりはいいなって、思うんだ。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆
5月の終わりといえば、もう夏も同然の日がある。
大石の住む街は、冬が長くて、春は短い。
全然いいとこない、と俺は思う。
この日も、とりわけ暑かった。
夜になってから、季節を間違えた蝉が、アパートの正面の木に止まって鳴き出した。
そのくらい、暑かった。
ことの後、冬の間なら、そのままくっついて眠るが、こんな暑さではもう、大石とひとつふとんで眠るのは無理だ。
彼は、寝ている時の体温が高くて、ふとんの中がぽんぽんになってしまうので、俺は明け方に起こされるはめになる。
俺は、彼の夏用のかけぶとんから這い出て、足元の方に押しやったタオルケットを引っ張り上げた。
「いっしょに寝よ。」
大石はそう言って、俺の腕を引っ張った。
「…や。暑くて起きちゃうもん。」
「俺が眠ったら、ふとんから出ればいーでしょ。ね?」
…はぁ?
なにそれ?
「…じゃ、お前が眠るまで、俺、起きてなきゃなんないじゃん…?」
「うん。」
「…わっがままぁ。」
「ごめん…。」
もう、いつからそんな顔するの、覚えたのさ?
甘えた目をして、かわいーこと言っちゃって…。
「…いーよ。でも、今日だけだよ。」
大石が、俺とくっついていたいと思うのは、これであと2カ月、会えないからだと思う。
俺は、7月頭の試験が終わったらすぐ、ファームステイに出かけるのだ。
農場実習のように必修ではないのだが、高校時代の担任に話を聞いてから、ずっと興味を引かれていた。
それでも、資金の問題があったのだが、祖父が援助してくれることになった。
期間は3週間で、それくらい会えないのは、いまや二人にとって珍しいことではない。
だが、国際電話をそうたびたびかけるのは無理だし、何かあった時に駆け付けられない距離というのも心配が募るだろう。
それは、俺だって変わらないのだ。
だけど、置いて行く方と、置いて行かれる方とでは、きっと心持ちが天と地ほども違うのだと想像がついた。
ふとんに入ると、大石は俺の額にキスをくれて、それから髪の中に顔を埋めた。
「俺が眠るまで、こうしてて…。」
いつも、人のわがままを聞いてばかりの彼が、かわいいわがままを言う。
俺には。
俺だけには。
そのことに、うっとりとした。
俺は、彼の背中に手を回して、なだめるように撫でてやった。
そしたら、大石は、俺の髪の中に埋めた顔をずらして、くちびるの間に耳のふちを挟んだ。
舌を端からぐるっと辿らせて、最後に耳たぶを口に含んだ。
そのうち、それを吸うみたいにし始めたから、俺は、うちの犬がまだ赤ちゃんだった頃を思い出した。
そんな連想が浮かんだから余計に、彼がいとしくて、たまらなくなってしまった。
だけど、そのいとしさというのは、エッチしたいとか、そーゆーんでなく。
自分でも、この気持ちがなんなのか、つかみかねた。
胸の中心が、温かいもので満たされたような。
やわらかい、真綿のようなもので、自分自身が包まれたような。
体の中からも、外からも。
安らか、という感覚の、本当のところがわかった気がした。
そして、なんだか眠くなった俺は、たぶん、彼よりも先に寝てしまった。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
俺は人を探していた。
英二はだれをさがしているの?
うちの犬が、尋ねた。
おーいしだよ、って言おうと思ったけど、
どうしても名前が思い出せなかった。
だから、だいじな人だよ、ってごまかした。
名前がわからなかったら、呼んであげられないじゃない、どうするつもり?
犬がそんなこと言い出したから、本当だ、どうしよう、って焦った。
それから、犬は鼻をクンクンいわせてにおいを嗅ぎ始めた。
どうやら、君のだいじな人は、なにかを焦がしているようだけど。
そう言って、いかにもおかしそうに笑い出した。
早く呼んであげなくちゃ!
でも、まず名前を思い出さないとね!
そう言い捨てると、犬はにおいのする方へと駆け出した…。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
焦げ臭さに異常を感じて、目が覚めた。
隣に、大石はいなかった。
とりあえず、裸はまずいと思い、Tシャツと短パンだけ身につけた。
そうしながら、大石の名前を呼ぶと、部屋の外の、キッチンの方から返事がした。
そちらを覗くと、彼が、フライパンを片手に立っていた。
「どうしても焦げちゃうんだ。」
俺の顔を見て、突然そんなことを言うから、ぽかんと口を開けて、彼の顔を見返した。
「…なに、してんの?」
「ホットケーキ、作ろうと思ったんだけど、火を弱くしても焦げちゃうんだ。」
彼は、いたって真面目な顔で、そう言った。
ホットケーキ?
…大石が?
きわめて理解不能のシチュエーションだった。
寝起きのせいもあって、余計に状況がつかめなかった。
「まだ、タネあるの?」
「タネってなに?」
ああ、日本語も通じないし。
これは、夢の続きなんだろーか?
そう思いながら、近づいて覗き込むと、まだホットケーキミックスを溶いたものが、残っていた。
なんだかやたらにお洒落な色づかいのボウルに入ったそれを見て、これは夢なんかじゃない、と思った。
いくらしたの、と昨日彼に聞いたのだ。
下の姉が欲しがっている高価な鍋と、同じブランドのボウルだったから。
100円ショップので十分でしょ、という気分が伝わったのか、結局値段は教えてもらえなかった。
「…えっと、ふきんある?それ、濡らして…。」
「うん。」
「大きな皿、持ってきて。」
「うん。」
彼は、俺の指示通りに動いた。
優秀な助手だ。
一人ではなんにも作れないのが、致命的だが…。
「…わぁ。焦げてない。どうして思い付かなかったのかな。」
「そーいうもんだよ。俺も姉ちゃんに教わったんだ。」
ホットケーキは、フライパンを一度冷ましてから余熱で焼かないと焦げてしまう。
その時には、濡れ布巾を使うのが便利だ。
言われてみればきっと、簡単なこと。
種明かし、みたいなもんだ。
だけど、そういう単純なことほど、気付かないものだと思う。
なんでもそうだが、自分だけでなにかをするってのは結構大変なことだ。
二人いて、どちらかがやり方を知っていれば、もう一人も教えてもらえる。
二人とも知らなくても、答えに辿り着くのはきっと、一人より早い。
ずーっとわからなくて、困り果てるってことは、あんまりない、と思う。
二人でいると、めんどくさくて、うっとーしいことも多いけど。
そうやって、いいこともたくさんある。
「練習してたの?」
「うん。ホットケーキくらい、簡単だと思ったんだけどな。」
「ホットプレートだったら、焦がさないで焼けるよ。」
「そうなんだ?…なんだ、ホットプレートで作ればよかったなぁ。」
「…え。このうち、ホットプレートあったりするわけ?」
「うん。実家にあった、引き出物だけど。」
この家には、宝の持ち腐れなものが、いっぱいあるのだ。
そう思ったら、おかしくなって、吹き出してしまった。
「なんだよー。」
「だって…。」
でも、形から入る主義なところも。
苦手なことに試行錯誤している姿も。
なんだかもう。
…かわいくって、しかたがない。
「おいしそーだね。冷めないうちに食べよっか。」
俺は、大石の腕に自分の腕を巻き付けた。
「朝、食べないんだろ?」
「食べたいんだもん。ふたりでいると、お腹空くみたい。」
そう言うと、彼はうれしそうに微笑った。
それから、俺達は、ホットケーキにバターと蜂蜜をたっぷりのせて。
甘くて濃厚な味にしたてて。
それを、時間をかけて味わった。
ふたりだから、たぶん、よけいにおいしかった。
ふたりでいるから。
どんなキスよりあまい、ある朝のできごとだった。
end