ねぇ、永遠はあるの?
この世に永遠はあるの?
人は永遠を造り出せるの…?
☆☆☆
成人式のために東京へ戻った。
冬休みに戻ったばかりなので、正直面倒ではあった。
だが、かわむら寿司でご馳走になれると聞いて、心が動いたのだった。
着慣れないスーツを窮屈に感じながら、式典の間、真面目な顔して違うことを考えていた。
隣に座っている恋人のこと、それから引越しのスケジュールについて。
3月に学生寮を出て、一人暮らしを始める。
部屋は試験が終わったらすぐに、探すつもりだ。
やっと、二人きりになれる空間が手に入るのだ。
親の金に頼った、借り物の空間ではあるけれど。
今はそれで充分だ。
だけど、二人暮らしまではまだ先が長い、と思わず溜め息をついた。
ふと横を見ると、英二が退屈な話に飽きて、舟を漕いでいた。
式典が終わると、懇親会ということで、要は同窓会のような集まりになった。
それぞれ出身中学や高校の者同士で集まり、話に花を咲かせた。
青学は私学ながら、この地区が地元だけに結構な人数の卒業生がいた。
ひとしきり、クラス、委員会が同じだった、卒業以来の顔触れと近況報告をしあった。
当たり前だが、皆、スーツに着られている。
これが数年後にはしっくり馴染むようになるのだ。
英二だけは、バーゲンで入手したというスーツを着こなしていた。
説明されたが、何語だかわからないそのブランド名はすぐに忘れてしまった。
その後は、自然、テニス部の人間で固まった。
やはり、長く濃密な時を共に過ごした者同士、一番気の置けない仲間だ。
特に、団体戦を全国大会決勝まで戦い抜いた中等部からの仲間は、気分だけは親戚のようなものだ。
俺と英二、乾に、タカさん、の4人。
手塚はプロプレイヤーとしての拠点をアメリカに置いている。
不二は私立の美大に合格し、今は交換留学制度を利用して、同じくアメリカで勉強中だ。
元チームメイトの活躍の幅が広がるのは喜ばしいことだが、正直、寂しいような思いもあった。
こうして揃う人数も、きっと、だんだんと減ってゆく。
日常の忙しさに、優先順位が変化する。
成人式のように結構な人数が集まるのも、きっと大学を出てせいぜい4、5年先までだろう。
その後は、同窓会が生き甲斐の年齢になるまでお預けだ。
「いい穴子が入ったよ。」
タカさんが英二にそう言った。
英二は目を輝かせている。
「今朝、仕入れに行ったのか?」
乾の問いに、タカさんは頷いた。
当然だろ、という表情だった。
なんというか、そこには誇りのような気分が感じられて、格好よかった。
「じゃ、眠かったろ?さっきの話。」
「うん。なんにも聞いてないや。」
「俺もー。」
そうして、二人で笑い合っていた。
タカさんと英二の会話を横で聞いていると、いつも気持ちが和んだ。
中等部の頃に戻ったような気がして、なんだか胸の辺りに甘いものが込み上げてくるのを感じた。
英二の方は、俺の思い入れの問題だが、タカさんは、誰と接してもそんな風にやわらかい。
奢らず高ぶらず、それでいて、他人行儀な感じは全くない。
穏やかに温かく迎え入れ、相手の心を開いてしまうのだ。
懇親会が始まり1時間も経つと、それぞれ仲の良いグループで固まって、会場を後にし始めた。
俺達も、かわむら寿司へと移動した。
板場に立ったタカさんは、本当に格好よかった。
中等部の頃から見慣れていたはずの姿だが、凛々しさというのか、厳しさというのか、そういうものが増し加わったと感じた。
プロなんだ、と思った。
まだ修業中だ、と本人は言うが、そういう問題ではない。
これ一本でもってやって行くと決めて、歩み始めた者の迷いの無さ、気概が彼にはあった。
ビールを開けて、刺身をいただいていると、タカさんが言った。
「そうだ。暮れにさ、手塚が来たよ。」
英二と乾が、俺の顔を見た。
英二は、「聞いてないよ」、という表情だった。
「知らなかったな。」
「急だったみたいだよ。スポンサーさんが、来たいって言い張ったんだって。前の日まで韓国にいて、近くまで来たからって思ったみたい。」
手塚には、企業スポンサー以外に、個人の資金援助者がいた。
ときどき、えらいものを落札して世間を騒がす、ロシアの富豪だ。
スポンサー夫妻と手塚は当初、マカオに滞在していた。
スポンサーはカジノで大負けした。
負けを取り戻すために、心機一転、済州島へ移動し、再び勝負をかけた。
結果、大勝ちして大層機嫌を良くした彼は、せっかく近くまで来たのだから、手塚の実家に行ってみたいと言い出した。
もう一つのリクエストが、a good old-fashioned sushi bar に行ってみたい、というものだった。
「old-fashioned」 というのは、回転寿司ではない、という意味だったらしい。
「手塚のスポンサーさんってどんな人だった?」
英二が尋ねた。
「感じのいい人だったよ。でも話し始めたら、すごくテンション高くて、カジノでの話を興奮してまくし立ててさ。で、手塚が全部通訳してくれたんだけど、いつもの調子で淡々としてて。二人のギャップが可笑しくて笑い出しそうだったよ。」
英二は、その様子を想像してニヤニヤ笑っていた。
「なるほど、仕事抜きで付き合うロシア人ほど、気さくな人種はいない、というからな。」
乾が言った。
「へー、そうなんだー。」
英二とタカさんは、その言葉に感心していた。
「スポンサーさん、言ってたよ。手塚を援助するのは、失われた青春を取り戻すためだって。」
スポンサーは、旧ソ連時代に冷遇された一族の出身だそうだ。
不幸な境遇の下、味わうことができなかった青春を、手塚を通して追体験するために援助しているのだという。
手塚を援助の対象に選んだ決め手は、若くして亡くなったお兄さんに似ている、というすこぶる感傷的な理由だった。
「だけど、スポンサーさんも奥さんもすごい巨漢でさ。お兄さんだけじゃなく、自分も若い頃は痩せてたんだって言うんだけど、全く想像つかなくて。また笑い出したくなっちゃって困ったよ。」
タカさんがそう言うと、英二が声を立てて笑った。
二人は親子以上に年が違うにも関わらず、兄弟のように打ち解けた雰囲気だった、とタカさんは言った。
ほっとして、心が和らいだ。
一人、異国で孤独な戦いをしていると思っていた親友が、そんな家族的な雰囲気の中で、年の瀬を過ごしていた。
その話をもたらしてくれたタカさんに、心から感謝したかった。
「俺さ、ホント、この仕事いいなって思ったよ。ここにいれば、今回みたいに、思い出した時に、誰かが訪ねてくれるだろ。」
「そうだね。俺もこの街を離れて、また帰って来た時は、きっと訪ねてみたいって思うもん。だけど、タカさんだから訪ねようって思うんだよ。」
英二が言った。
「ほんと?なら、うれしいなあ。」
「そうだよ。ずっと、お店、開けておいてもらわなきゃね。」
それから、それぞれに食べたいネタを握ってもらい、満足して店を後にした。
タカさんのおごりだった。
「早く、自分の金で来られるようにならないとだな。」
乾が言った。
「そうだな。」
答えながら、自分が一番最後になるのだと思った。
あと、5年、たぶん6年。
恋人と暮らすのも、それまで待たないとならない。
もどかしいな、と思った。
交差点で、乾は別れた。
約束がある、と言って、駅の方へ歩いていった。
見せたいものがあるから、うちへ寄らないかと、英二が言った。
久しぶりに英二のうちを訪ねた。
祭日だが、彼のうちには誰もいなかった。
一方、俺のうちは、朝から母が料理の仕込みをしていた。
成人式なんて、形だけなんだから、と言ったのだが。
何人も兄姉がいると、こんなものなんだろう。
気楽でよさそうだ、と思った。
静かだな、と言うと、離れにはジジババがいるよ、と彼は答えた。
居間に通され、コートと、窮屈なジャケットを脱いで、ソファーに腰掛けた。
英二はコーヒーメーカーをセットした。
それから、ちょっと待っててと言って、2階の自室へ行ったようだった。
戻ってきた彼の手には、プリントアウトしたらしい紙があった。
渡されたそれには、いくつもの雪の結晶が描かれていた。
その数は、20個、30個もあろうか。
そして、よく見ると、その一つ一つが全く違う形だった。
人の顔のようだ、と思った。
出来上がったコーヒーをカップに注ぎながら、英二が言った。
「すごいだろ。それでもほんの一部らしいけど。」
それは、不二のメールに添付されていたのだという。
面白い日本人に出会った、とメールには書かれていたそうだ。
「そのデッサン、プレゼントされたんだって。」
そう言って、ニヤニヤ笑った。
…そういうことか。
「不二はさ、片割れを見つけたかもしれないよ。」
コーヒーカップを渡されて、受け取った。
「前に転送した不二の作品覚えてる?」
…覚えてるとも。
稲光のプリントが、いやがらせのようにおびただしい数、並んだ…。
写真に加工を施してあるのだと聞いたが、専門的なことは全くわからない。
それぞれの稲光は、それぞれに少しずつ、違う形を成していた。
生き物のようだ、と思ったのだ。
「…似ているな。」
「だよね。」
「…不二は、放っておいたら消えてしまうものを残したいんだって。消さないようにあがいてみたいんだって、言ってた。」
一瞬で消えてしまうそれを、彼らは紙の上に定着させる。
永遠に凝結した雪の結晶。
永遠に空と地をつなぐ閃光。
永遠に消えないものは、この世にはない。
わかりきっているからこそ、芸術家は執着する。
芸術家だけじゃない。
人間は誰しも、永遠というものに憧れ、焦がれるのだ。
俺もそうだ。
そして、彼も。
横に座っていた彼の腰に、手を回した。
彼は、俺の手元を見たまま顔を上げないで、言った。
「ずっと…消えない雪があったら、素敵だね。」
そうして、俺の肩に頭を乗せた。
俺は、彼の髪の中に鼻先を突っ込んだ。
英二が消えてしまうような気がして、彼の匂いを吸い込もうとしたのだ。
彼はクスクス笑って、うちの犬みたいだ、と言った。
「…英二…ちょっと、こうしてて…。」
「…うん。」
彼は俺の手を取って、紙をテーブルの上に置くよう促した。
そうして、俺の指と指の間に、自分の指を滑り込ませた。
繋いだ指と掌から、肩に当たった額から、手を回した腰から、温もりが伝わってきた。
「大丈夫。ずっといるから。一緒にいるって約束したから。」
どうして、英二は俺の一番ほしい言葉がわかるのだろう。
日当たりのよい部屋に暖房がきき始めて、俺は眠くなってきた。
このまま、ここで眠ってしまえればいいのにな、と思った。
ここは、二人の空間ではないけれど。
君がいれば、君がいるところは、俺の安楽の地なんだ、とわかった…。
冬の午後だった。
end