甘くてやわらかな、ささやき声で。
話してほしい、どんなことも。
きっと、くだらないような、ささやかなこと。
うれしそうに、知らせてくれるその話。
それで、俺の心がどんなにほどかれているかなんて、君は知らないんだろうな…。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
木曜日の授業が終わると、大学構内の喫煙室で一服するのが習慣になっていた。
そこは学食の一角で、真新しいガラス張りの部屋だ。
去年までは、仕切りがあるだけで、厳密には分煙とはいえなかったらしい。
東京と違い、地方はこういう点、まだおおらかなのだ。
普段はあと一時限あるのだが、木曜だけは4時前に全ての授業が終わる。
タイトな一週間があと一日で終わる。
ほっとする、至福のひととき。
この時間の喫煙室は空いていて、今日は一人で占有だった。
実家を出てすぐに、煙草を覚えてしまった。
煙を吐き出す時に、精神も身体も、緊張から弛緩へと変化する。
その感覚が、好きなのだ。
そうだ、俺は弛緩したいのだ。
煙を吐きながら、想う人は。
英二の他愛のない話。
それが聞きたくてたまらない。
去年なら、予備校の名物講師の声真似。
どんなに個性的な人物か、面白おかしく聞かせてくれた。
それから、冬も近いというのに子供を産んだ、近所の野良猫の話。
三毛が1匹、黒が2匹。
3匹は、それぞれ飼い主が見つかり、もらわれていった。
父親は、多分、近所のボス猫。
このボス争いも、世代交替が間近らしい。
彼は、近所の野良猫事情にやたらと詳しかった。
気がつくと、肩に力が入ってしまう俺の性格を知ってのことか、無意識か。
英二は罪のない無駄話を次から次へとして。
そうして、俺の緊張をすっかりゆるめてしまうのだ。
テーブルの上に突っ伏して瞼を閉じた。
英二の声が聞きたい。
話が聞きたい。
彼の体温を感じられる距離で。
離れた街で暮らしてみてわかったのは、彼がいないと自分をゆるめるのにひどく苦労する、ということだった。
そういうわけで、煙草が手放せなくなってしまった。
困るのは、依存性、があるんだよな、どっちも…。
「こらぁ!寝たばこ厳禁!」
瞼を開くと、クラスメイトの女の子が立っていた。
思わず、頭をかきながら、椅子に座り直した。
「…ははは。」
「吸うんだぁ?意外…。」
「そう?」
「彼女のことでも考えてた?」
「あたり。顔に出るもんだなぁ。」
厳密にいえば彼女じゃないけど、素直に肯定した。
目の前の彼女は、なぜか絶句していた。
「…そんな、ほわんとした顔できるんだ…。」
ほわん、というかわいらしい表現に笑みがこぼれた。
「というより、そういう顔にしてくれる奴なんだよね。」
「…大石君て、意外な人だよね。堅物の優等生ぽいのに、たばこ吸うし、しれっとのろけるし…。」
「…もてるでしょ?」
そう言われて、笑って受け流した。
「もてないよ。別に、もてる必要ないし。」
「うわぁ…徹底的にのろける気か…。」
彼女は俺の言葉の意を解して、また絶句した。
「…帰ろ。突っ伏してたから大丈夫かと思って来たのに。心配して損したわぁ。じゃっ、また明日ね。」
さっぱりとした性格の彼女は、彼女らしく話を切り上げて帰って行った。
彼の方の授業は、まだしばらく終わらない。
待ちきれないので、メールを送って、電話をくれとねだることにした。
ちょっと前までは、こんなこと、恥ずかしくてとてもできなかった。
恋人を想う女々しい気持ちなんて、見せるものではないと思って、心の内に閉まってきた。
だけど、それを見せ合うのが、恋愛なんだって、やっとわかった。
彼から電話がきたら、聞いてみよう。
おかしな教授はいるか。
今年の秋も近所で子猫が生まれたか。
ボス猫争いはどうなったのか。
そして教えてあげよう。
君がいなくて、俺がどんなに苦労しているか。
君って存在がなくては、もう、俺が好きな俺らしく、いられないんだってことを…。
end