Dearest Sweetheart

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どこまでも、二人で歩いていこう。

俺は、つないだ手を決して離したりしないから。

君がうっとりするような愛の言葉は、言ってあげられないけれど…。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



金曜日の放課後、学園内の図書館へと足を向けた。

俺は、週に4日、医学部進学コース受講のために、都心に近い予備校へ通っていた。
そして、詰め込むだけでは逆効果なので、学んだことを整理する時間として、月曜日と金曜日の放課後をあてていた。

2学期になってそろそろ1ヵ月、俺のクラスは、全員が外部受験を志望しているため、その雰囲気は、すでに受験一色と言ってよかった。
だが、俺は、部活を引退してからの新しい習慣に、やっと慣れてきたところだった。

青学の図書館は中等部との共用で、学習スペースはかなり広い。
俺は中等部の頃からなじんだ空間が好きで、自習室よりも、むしろこちらで勉強することが多かった。

俺の父も青学出身だが、この図書館はその頃からある古い建物だそうだ。
よく見ると、高窓の窓枠や硝子に特別な意匠が施されており、歴史が感じられる。



図書館の正面から左手奥に、非常用というには少々頼りない、外付けのらせん階段がある。

その陰に、見慣れた色の髪が見え隠れしていた。
近寄ると、雀が数羽、ちゅんちゅんと鳴き声を上げて飛び立った。

英二が、驚いた様子でこちらを振り返った。
手の中にはパンのかけら。
雀に餌をやっていたのか。

「ごめん。」
と言うと、彼はまぶたを伏せて静かに笑った。
長い睫毛の影が落ちた。

「だいじょうぶ。」
そう言って、階段に座った。

英二って、以前からこんな笑い方をしていただろうか。
不思議な違和感に魅きつけられて、俺もその幾段か下に腰掛けた。



「こんなところで何してるんだ?」
「なんにもー。俺、待たされてんの。乾に。」

英二と乾は、ほぼ毎日、駅前にある大手予備校に通っている。

英二は、農学部を目指しているが、青学にはその学部はなく、必然的に外部受験を目指すことになった。
6年間テニス漬けで、現役合格というのは実際なかなか難しい。
彼ははなから諦めて、いまは地道に4、5年次の学習内容を復習しているそうだ。

かく言う俺も、医学部現役合格なんて、とても無理だ。
来年はたぶん、二人揃って浪人生活ということになるだろう。


「今日は、ファミレスで飯食ってから行こうって、あいつが言ったのにさー、全然来ないんだよー。もう時間無いから、夕飯、また100円バーガーだよー。」
と英二が嘆いた。

「そりゃあ悲しいな。身体にもよくないしなぁ。」
と俺も調子を合わせた。

何だか食い気一色、全く色気のない会話だ。
たまに顔をあわせて話したんだから、もうちょっと…、なんて思うのは贅沢だよな。



ちょうど1ヵ月前、俺達は、初めてお互いの気持ちを確かめ合った。

部活を引退して、そのまま離れてしまうのが恐くて、俺は夏休みの後半、毎日、英二の家へ通いつめた。
もちろん、自分から気持ちを告げるつもりだった。

そして、彼もきっと俺と同じ気持ちだ、と感じたのに。
いざ告白となると、なかなか思い切ることができなかった。

結局、彼の方から気持ちを伝えてくれた。
俺も、彼に促されて、告白をした。


俺の気持ちが英二に受け入れられなくても、彼が俺を嫌って遠ざけることはない、それは以前から確信していた。
それだけの信頼を二人の間に築いてきた、という自信はあったから。
それなのに。

英二が一歩踏み出してくれなかったら、俺はいつまでも同じ場所をぐるぐる回って、あるはずのない出口を探していたのだろう。



そうやって、俺達はやっと気持ちを通わすことができたのだが、このタイトなスケジュールの中、一緒に過ごせる時間は、全くと言っていいほどなかった。

変わったのは、朝と夜、欠かさずメールをするようになったことくらい。
たまに夜、電話で話すが、お互い勉強している時間帯なので、遠慮しながらということになる。

まぁそれくらいだって、十分うれしいのも確かだった。
3年越しの想いが、やっと実ったのだから。


電話での彼の声は、他の誰にも聞かせたくない。
ささやくように優しく声を出すのだ。

メールの文面だって、以前のような、業務連絡的な感じじゃない。
素直な感情をそのまま、伝えてくれる。
それがうれしくて、もらったメールを何度も読み返したりもしていた。


ただ、やっぱり、会う時間は全然なくて。
いわゆる進展というのは皆無だった。

こんなに時間がないというのに、世の中の受験生カップルは、一体どうやって恋愛しているんだろう。
みんな、同じように悩んでいるんだろうか。


「そーそー。」
そんなことを考えていると、英二がかばんの中をごそごそと探して、なにやら取り出した。
封筒だった。

「ラブレター。」
と言って渡された。

淡い水色が上品な封筒は、きちんと封がされていた。
彼のこうした繊細な感覚というのは、ごく親しい者しか知らないだろう。

「ありがとう。」
なんだか照れた。

「うちへ帰ってから読んでよね。誰にも、読まれないようにして。」
英二は、大きな瞳を瞬きさせずに、こちらへ据え付けるようにして言った。

「う、うん。わかった。」
勢いに気圧されて、俺はしどろもどろの返事をした。
俺は、自分の体温が少し、いや、かなり上がったのを感じた。

「初めてだ。」
「うそ。もらったことあるだろ。」

「英二からは。」
そう言うと、彼はまた、静かに笑った。

「だって、ゆっくり話す時間ないからさ。」
「…だよな。」

彼だって、俺と同じ気持ちなのだ。
だけど、いくら浪人前提とはいえ、受験生という看板を背負っている以上、なんとなくお互い遠慮してしまっていたのだ。


「…朝、学校一緒に来ようか。」
思わず、そう言っていた。

「…いいのかよ?勉強してるんだろ、早く来て。」
「いいよ、どうせ浪人するんだ。」

そんな気遣い要らない、と言われるかと思っていた。
きっと、以前の相棒ならばちょっと怒ってそう言うだろう。
甘やかすなよ、って。

「ほんとに?いいの?」
彼はそう言うと、体を前に傾けて、俺の瞳を覗き込んだ。
瞳には、甘い色が浮かんでいた。

「うん。じゃ、明日から。」
「うん…。」


なんだか、すごく落ち着かなかった。
くすぐったい気分って、こういうことなのかな。

彼がどんな返事をするのか、今までならば想像できた。
今までならば…。

でも、今はちがうのだ。
二人の関係が変わったのだから。



英二は、また、パンをちぎって投げはじめた。
雀が一羽飛んで来て、パンの小さなかけらをついばんだ。

「大石もやる?」と、パンを渡された。
受け取ったパンを小さくちぎって投げる。
雀が一羽、また一羽、と集まってきて、パンをくちばしにくわえた。

一羽の雀が小首を傾げるようなしぐさをした。
「かわいいなあ。」
思わず口元がほころんで、そう口にした。

「だろー?」
振り仰ぐと、英二はにっこり笑っていた。

別に、色気なんてなくたって、一緒にいられさえすれば、幸せだ。
そうなんだ。
でも、一緒にいられないから、困ってるんだ。



「英二。」
突然、雀が翼をバサバサと羽ばたかせて飛び去った。

「あっすまん。」
乾だった。

その、少し間の抜けた表情に、英二がプッと吹き出して、二人で声を立てて笑い合った。

「何がそんなにおかしいんだ?」
乾が問う。

それには答えずに、英二は抗議の声を上げた。
「乾、大遅刻ー。また100円バーガーじゃん。」

「悪かった。今日は奢るから。」
「要らないよー。100円バーガーじゃなくてファミレスで奢ってよー。」

そう言いながら、英二は学生服の上着の裾とズボンを手で叩きながら立ち上がった。

「じゃあな、自習、頑張って。」
彼はそれだけ言うと、乾と連れ立って行ってしまった。



なんだか取り残されたようで、寂しくなった。

手の中に残ったパンのかけらを、再び投げはじめると、また、雀が集まってきた。

俺は無心でパンをちぎっては投げていたが、いつのまにか、全て投げきってしまった。
もうパンをもらえないとわかると、雀はあっさりと飛び去って行ったので、余計に寂しくなった。

俺は、英二がくれた手紙を眺めた。
かばんの中にハサミがあることを思い出して取り出すと、封筒の上部を細く切って、便箋を取り出した。

Dearest Sweetheart

これ、英語だけ見ると恥ずかしいんだけど、「優しさの極みの君へ」って訳がついてたの。
大石にぴったりだろ?
でも、男宛てに使ってもいいのかな?

大石は優しいよ。
優しすぎ。
だから、俺、つい甘えちゃうんだ。
いいわけすんな、って言わないでよね。

夕陽の射す自習室で、これを書いてる。
この時間になると、いつも、思い出す。
大石を好きだって気付いた日のこと。

大石のこと独り占めしたいって、自分の中に醜い心があることを知ったんだ。
でも今は、俺もちょっとは成長したから安心して。

大石のどこが好きかっていうと、本当のところよくわからない。
たぶん全部好きなんじゃないかな。

でも、友達として尊敬してるところは、たくさん言える。
他人の悪口を絶対言わないところ。
夢や目標がはっきりしているところ。
地道な努力を怠りなく続けるところ。

まだまだいっぱいある。
そういうのの積み重ねで、今の「好き」があるんだと思う。

ずっと、大石と並んで歩きたいって思ってた。
大石は、いつも、俺の少し前を歩いてて、たまに後ろを振り返ってくれてた。
そういう優しいところが大好きだし、感謝してるけど、これからは、二人、並んで歩ければいいと思う。

だから俺、いま勉強頑張ってる。
結果、出るまで諦めないで頑張るよ。
やっと見つけた目標だもん。

この目標だって、大石のおかげで見つかったんだ。
1年の頃、どうして医者になりたいのか、話してくれたことあったろ。
あれから俺、真剣に自分の将来を考えるようになったんだ。

だから、ありがとう。
長くなったけど、一番言いたいのはそれなんだ。


I treasure our friendship.

英二


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俺が、先を歩いてるだって?
恋に関しては、英二はずっと先を歩いてて、きっと俺を待ちくたびれてる。
どんなに俺を好きか、どんなに俺を信頼して、感謝してくれているか、こんなにも素直に明かしてくれる。

でも、俺は。
英二を想う気持ちは、溢れ出すほどにあるけれど、それを言葉にも、行動にも、何にもあらわすことができなくて。
ただ想いを持て余して、一歩も動けずにいるんだ。

そんな自分がもどかしくて、切なかった。
一緒にいられる時間も空間も手には入らなくて。
言葉だけが頼りなのに。
想いを言葉にしたい、しなければ届かないんだ、と思うのに。

俺の言葉は絡まって、うまく紡ぐことができないんだ。


切ない。
英二、お前に会ってから、たぶん、俺はずっと、そういう気持ちだ。
お前を想う時、俺は、いつも、とてもとても切ないんだ。
もうなんか、俺、泣きそうだ。

ああ、そうだ。
恥ずかしいけど、この切ないって気持ちをそのまま伝えてしまおう、と思った。

手紙、書いてみたいけれど、綺麗な便箋なんて持っていない。
それに、いますぐに、気持ちを伝えなきゃ、と思って、短いメールを送った。
返信はすぐに来た。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

俺だって、切ないよー。
なんでいま、乾なんかと100円バーガー食べてなきゃいけないわけ?ってさ。
手紙、うちへ帰ってから読んでって言ったのに。
死んでも落とすなよー。
でも、気持ち教えてくれてうれしかった、ありがとう。
おーいし、愛してるよん。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


…愛って…。
そうか、もう、これは恋じゃないんだ。
いや、恋だけど。
愛、って言ってもいいんだ。

「愛してる」。
英二がふざけて使った言葉に、面食らった。

俺の人生に初めて登場したその言葉は、甘く、甘く心に響いた。
携帯の画面に浮かぶその言葉を見返すたびに、切ないって想いが消えていった。

「愛してる」って、凄い言葉。
そうだ。
愛されているって確信できれば、たとえ一緒にいられなくても幸せだ。



わかってみれば、当たり前のことかもしれない。
でも、俺は、当たり前のことまで、なかなか辿り着くことができない。
そういうことは、今に始まったことじゃない。

俺は、しょっちゅう道に迷って、困り果てている。
それで、英二の声がする方へ歩いて行くと、見通しのよい広場に出て…。
そこには泉があって、俺は泉の水を一口飲んで、ほっとするんだ。
これからも俺達ってこんな感じなのかな。

英二は当たり前のように、俺に幸せをくれた。
幸せの渡し方を教えてくれた。

だから、俺だって、できる限り、英二に幸せをあげたい。
そう思った。

…俺、落ち込んだり浮かれたり。
こういうの、いわゆる、翻弄されてるっていうのかな…。
でも、英二にそうされるんだったら、心地いい。



いつのまにか影が伸びて、夕暮れ時を知らせていた。
自習、しなきゃいけないんだった、と思い出した。


「俺も、愛してるよ。」

短いメールを送信してしまってから、恥ずかしくて、てのひらが汗ばんだ。
俺が使うには、やっぱり、あまりに不似合いな言葉だ、と思ったから。

でもいいんだ。
英二が幸せだと感じてくれれば、それで。
それで、俺だって幸せなんだから。

そうして、携帯電話をかばんにしまって、俺はやっと立ち上がった。
図書館の扉は、もう、夕焼け色に染まっていた。
俺はその色に、恋人の髪の色を重ねて、また、甘い想いを味わっていた。


end


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