ぶらんこ Bitter Sweet Memories
真っ赤なトマトがたわわに実って。
プランター栽培じゃ、もう、いかにもきゅうくつだ。
風が、風鈴をやさしく撫でて。
ちりんちりりんと、かわいらしい音を立てる。
恋人は、猫のように床に転がって、眠りを貧っている。
夏の終わりの昼下がり…。
☆☆☆☆☆
きい、きい、きい。
こぐ度に、手入れの悪いブランコの、滑車がいやな音を立てた。
きいきいきいと、悲鳴を上げていた。
すっかり錆びて軋んでいたが、忘れ去られた公園の、忘れ去られたブランコに、油を挿す人はいなかった。
その頃、俺と大石は、登校前に公園でデートしていた。
高等部も最後の年で、浪人確定とはいえ一応受験生。
登校前しか会う時間がなかったのだ。
その日、どうしてそんな話になったのか、よくよく考えても全く思い出せない。
俺はブランコを立ち漕ぎしていて、大石は隣のブランコに座っていた。
「大石の奥さんは、頭がよくて控え目で賢くて、でもってやっぱり美人だといいなー。×女卒とかさ、お嬢さまだよな、やっぱ。」
「…英二。」
俺はまっすぐ前を見てるから、大石がどんな顔をしているか、わからない。
でも、わかる。
戸惑ってる。
英二はなんでそんなこと言うんだって、顔してる。
「子供はー、上から女、男で、二人かな?」
「英二!」
あーあ、怒っちゃった。
でも、止まらない。
俺はブランコをこぎ続ける。
きいきいきいきい…。
「奥さんは賢いから、愛人がいるってわかっても、それくらい目をつぶる。」
「英二!いい加減に…」
「…と、いーなー…。」
きいきいきいきい…。
引っ切り無しに悲鳴が上がる。
これは、俺の悲鳴?
それとも、大石の?
「…俺が死んだらさー、犬か猫に生まれ変わるから、引き取ってよ。ね?」
きいきいきいきい…。
「…大石、犬と猫と、どっちがいー?」
「…英二…もう…。」
横を見たら、大石が泣いていた。
涙をぽろぽろぽろぽろこぼして。
びっくりして、ブランコをこぐのをやめた。
どうしよう。
泣かせてしまった。
ちょっと困らせたかっただけなのに。
困った顔が見たかっただけなのに。
俺はブランコからおりて、大石を抱きしめた。
ごめんね、ってたくさんたくさん言った。
そして、その後、俺達はどうしたんだろう。
覚えていなかった。
どうやって許してもらったのか。
いつ仲直りしたのか。
どうやってその後学校ヘ行ったのかも、なんにも覚えていなかった。
だから、夢だったんだ、と思ったのだ。
だけど、卒業式のとき、皆勤賞のはずの大石が表彰されなかった。
精勤賞で大石の名前が呼ばれて、あれは夢じゃなかったのかな、と思った。
あの日、俺達は遅刻したんじゃないかな、って。
きっと…。
俺は、大石を困らせたかったんじゃない。
傷つけたかったんだ。
肉を引き裂いて。
心の奥底の一番やわらかいところを暴いて。
俺の名前を刻み付けたかったんだ。
俺のこと、忘れて欲しくなかったから。
痛みとともにずっとずっと覚えていて欲しかったから。
たぶん、きっと…。
☆☆☆☆☆
大石の額に、汗が浮かんでいた。
俺は、タオルを濡らして絞って、額の汗を拭いてやった。
いつもそうしてやってたけど、大石の妹には、甘やかし過ぎだってあきれられた。
「ん…。英二…。」
「ごめん。まだ夕方じゃないよ。寝てな。」
そう言ったけど、大石は目を覚ましてしまって、尋ねてきた。
「夕飯、パスタでいい?何味がいい?」
「トマトがいーな。」
「トマトあったっけ?」
「ベランダ、ベランダ。」
俺はベランダを指さした。プランターに植わった木には、トマトがたくさんなっている。
「…ほんとだ。全然気付かなかった。」
俺は大石の頬を撫でた。
彼は、働き過ぎで最近ちょっと体重が落ちた。
頬の感触も少し骨っぽい。
「あのさ、家庭菜園借りたいんだけど。いい?」
「…見に行く時間ないんじゃないの?」
「最低月いちでいーんだよ。管理人さんが見てくれんの。」
「…なにそれ、借りる意味あるわけ?」
大石は呆れた顔で俺を見て、それから笑った。
「気持ちの問題だよ。うちの畑で取れたんですって、言いたいわけ。」
「ふーん。」
彼はくすくす笑って、それから言った。
「いーよ。借りれば?」
俺も笑って、大石の隣に寝転がった。
「やった!」
「…もう秋じゃない?何蒔くの?」
「かぶ、とか…。」
「かぶ!?」
大石はげらげら笑い出した。
なにがそんなにおかしいのかな。
「ビーツ蒔いたら、ボルシチ作ってやるよ。」
「ボルシチ何回作るつもりだよ。」
まだ笑っている。
「あと大根とか。チンゲンサイとか春菊とか。あ、えんどう豆も。」
「へえ。結構いろいろあるもんだな。」
「だろ?楽しみにしててよー。」
今度は大石が、俺の頬を撫でた。
瞳はあまい色。
キスしたい、って思ったけど、その前に。
聞いてみたい。
さっき思い出した、記憶のこと…。
☆☆☆☆☆☆
「…そんなこと、あったっけ?」
大石は、首を傾げた。
…やっぱり、夢だったのかなぁ…?
気がつくと、大石の脇腹にぴったりと猫がくっついていた。
この子は大石に甘えるのが大好き。
一人占めするのが好き。
だからいつも、俺とこの子で大石の取り合いになる。
まあ、最終的には俺に譲るけど。
なにしろごはんをやっているのは俺なんだから。
「ちょっと、きみ、暑くないの?じゃましないでよ。」
俺は猫を抱え上げて、横に除けた。
にゃー…と抗議の声をあげて、行儀よく座りなおすと、恨めしそうに俺達を見つめた。
しばらくするとあきらめて、こちらへ背を向けて丸くなった。
「ふて寝しちゃったな。」
大石は、俺と猫とのやりとりを見て、くすくす笑っていた。
俺は、もう一度大石の隣に寝転がると、腕をのばして、首に絡み付けた。
「…なんか、大石楽しそうだね。…いつもだけど。」
大石は、俺の耳元にささやいた。
「俺、いやなことは、その日のうちに忘れることにしてるんだ。」
うん。
大石って、そーゆー人。
あれ?
この言葉、ずっと昔に聞いたような…。
…そうだ。
あの日、昇降口で別れるときに、彼が言ったのだ。
…俺、いやなことは、その日のうちに忘れることにしてるんだ、って。
30分も遅刻して、教室に入るなり、先生に怒鳴られた。
そしたら、乾がなにやらペンを走らせていて。
いやな感じー、と思ったのだ。
不二に相談したら、彼は「君達って、ホント感じ悪いよね」って言って、ため息をついた。
明くる朝、大石はいつもの時間に、いつもの場所で待っていた。
いつもと変わらない朝の公園で、俺達はいつものとおりに他愛のない話をした。
大石は、いつもと変わらない笑顔で。
そして、俺は、あれは夢だったんだな、と思ったのだ。
よかった、と思ったのだ。
大石を傷つけなくてよかった、と思ったのだ…。
…どうして忘れていたんだろう。
あんなにかわいそうなこと、しておいて。
あんなにひどいこと言ったのに。
なんだか、魔法にかかってたみたい。
大石が俺を魔法にかけたの?
大石のくちびるが、頬に触れた。
ちりん、ちりりん…。
風が風鈴をやさしく撫でた。
甘やかでせつない音色。
「…もう、しまわなくちゃね。」
「まだいいよ。名残惜しい。」
彼がそう言ったから。
風鈴をしまうのは、もうしばらく先にしよう。
過ぎ行く夏を惜しんで。
過ぎ去った月日を懐かしんで…。
end